博多駅の沼とトランプの沼 飲み込まれたマイノリティ

【Drain the swamp】という英語の慣用句があります。

直訳すると、【沼地を干上がらせろ】という意味です。蚊が大量発生するのを防ぐために沼地を干上がらせることに由来していますが、比喩的に、汚職を壊滅させるという意味でも使われます。この言葉をスローガンとして掲げていたのが、次期アメリカ大統領のドナルド・トランプです。

今、トランプの【沼地を干上がらせろ】という言葉を思い出しながら、私は別の沼地を見ています。博多駅陥没事故現場の、あの沼地です。この二日、私はマイノリティとして孤独な経験をしました。報道の裏側にある、孤独なマイノリティ的事件です。

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トランプ勝利の前日、つまり博多駅陥没事故の起こった朝、私は午前10時に目を醒ましました。風邪をこじらせて咽頭炎の療養中です。スマホを見ると県外の友人や実家から心配のメールが入っています。テレビを点けると、見慣れた道路に大きな沼地が出来ています。陥没です。素早くマイノリティの不安を感じました。というのもその日、博多駅の病院へ治療に行く予定だったのです。

私は以前に重症筋無力症という難病を発症しています。今は寛解しており何の治療も投薬もしていませんが、他の病気の治療をする際には十分な注意が必要です。例えば咽頭炎と言っても、抗生物質は飲まず、漢方薬や副作用の問題が少ない薬を厳選して処方して頂いています。薬が合わずに副作用で入院したこともあります。ですから、かかりつけの病院とカルテはとても重要なのです。

 

その朝、手元にあった治療薬は二回分のみです。今日中に薬を貰わないと、夜には薬が切れてしまいます。博多駅の病院に電話しようとしましたが、咽頭炎で全く声が出ません。どうしよう。フェイスブックで呟くと、友人が私の代りに電話をしてくれました。しかし電話は繋がりません。ネットワークが遮断されているとのことです。その時点で、11:00。選択を迫られました。不安を抱えて新しい病院に行くか、ダメ元でかかりつけの病院へ行ってみるか。私は後者を取りました。後者を選択せざるを得ないほど、難病患者にとって飛び込みでの初診は恐怖の対象なのです。

 

博多駅の病院はビルごと停電しており、同じビルにある調剤薬局も閉まっていました。どうしよう。悩みました。諦めて総合病院に行こうか。ですが総合病院にはカルテがありません。これまで何度も受けた細かい検査をして、神経内科の診察を受け、それから咽頭炎の耳鼻咽喉科の診察を受け、レントゲンを取り、、、つまりは心身ともにうんざりすることになります。私は熱があります。仕事があります。欲しい薬は把握しています。素早くそれを出してくれる医院さえあれば、最短で解決できます。開業医の耳鼻咽喉科に行こうと決心しました。微熱の体でのろのろと、群衆や取材メディアを掻き分け、真っ暗な博多駅を抜けました。

 

耳鼻科に到着しました。午後の診療が始まる14:00まで待機しました。診療が始まり、声が出ないので筆談で受付の方に説明をしました。しばらくすると受付の方に呼ばれました。うちは耳鼻科なので、診察は難しいとのことでした。診察拒否です。医師の気持ちもよくわかります。全く声が出ないということは、咽頭炎ではなく急性麻痺も考えられます。重症筋無力症の急性麻痺となると、神経内科の症状であり、耳鼻科だけでは対応できません。諦めました。博多駅に戻り、カフェに入りました。のど飴を舐めながら紅茶を啜りました。さあどうしよう。時間は15:00です。

 

スマホでネットを開きました。何通か仕事のメールを返信した後、Yahoo!を開きました。『博多 神経内科 咽頭炎』等の検索ワードを入力します。そのとき、薬を飲み忘れていることに気付きました。一回分を飲みました。残された薬はあと一回分です。顔全体を触りました。微熱と喉の痛みはあるものの、それまでの数日の療養で多少は回復に向かっていました。これから新規の総合病院に行くとなると、かなり体力を消耗します。考えた結果、私は薬を諦めて家に帰ることにしました。時間は16:00です。外では冷たい雨が降り始め、博多駅はますます暗くなりました。

 

地下鉄に乗りました。最寄り駅で降り、出入り口からコンビニに走りました。ビニール傘を買いました。午前中に慌てて家を出たので、傘を携帯するのを忘れました。コンビニまでの十数秒、冷たい雨に濡れました。ぞくぞくと悪寒がし、咳が出始めました。体が冷えたのです。早く家に帰って温まろうと思う反面、このまま体調が悪化したなら、やはり薬がないと怖いなと不安になりました。そのとき、帰り道に内科医院があることに気付きました。18:00まで診療と書いてあります。まだ間に合う。小さな葛藤が起こります。先ほどの診療拒否を思い出しました。嫌な気持ちです。どうしよう。逡巡する間も咳はひどくなります。意を決し、医院に飛び込みました。

 

本日二回目の筆談です。新規カルテの余白に、これまでの難病や今の症状を細かくびっしり書いて、受付の方に渡しました。しばらく待たされたあと、診察の許可が出ました。筆談しながら、聴診器を当てたりレントゲンを取ったりしました。医師は私の知らない薬を薦めてきました。勿論、善意です。ですが先述の通り、難病患者は未知の薬を警戒します。私はそれを、筆談で説明します。診察してくれただけでも、この医師に対する心からの感謝の気持ちがありました。どうにか誠意が伝わるように、じっと見つめながら紙上に言葉を連ねました。医師は理解してくれました。私の要求通りの薬の処方箋を出してくれました。ですが新しい問題が起こりました。この医院とその周囲の調剤薬局には、私の欲しい薬は置いてなかったのです。

 

受付の方と筆談で相談しました。姪浜の方の調剤薬局にあるとのことでした。そのとき時間は17:30、姪浜の調剤薬局は18:00に閉まります。タクシーに乗りました。グーグルマップでこの辺りだというところで降り、ビニール傘をさしました。時間は刻刻と迫ります。処方箋を握りしめて走りました。咳は止まらず体は熱く、顔には冷たい雨粒があたりました。

 

なんとか調剤薬局には間に合いました。有り難く薬を頂き、家に帰り、お風呂で温まり、梅干し入りのにゅう麺を食べました。報道番組をつけると、例の博多駅の大きな沼地が映っています。報道キャスターが高らかとこう言いました。『人に対する目立った被害はないです』。目立った被害はありません。ですが、目立たないマイノリティの被害は存在します。ここに存在しています。苛立っても仕方ない。食後の薬を飲み、そのまま、泥のように眠りました。

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翌日、目覚めると午後の13:00でした。随分と体調が回復しています。フルーツを食べて薬を飲み、CNNをチェックしました。画面には、【トランプ氏優勢】とあります。アメリカのマイノリティを思い、胸が痛みました。トランプはLGBTや移民などマイノリティを冷遇しています。切り替えます。支度をし、PCや手帳を抱えて博多駅に向かいました。やるべきことはあります。仕事です。

 

博多駅の陥没沼は、相変わらずでした。前日を乗り越えた私は、冷ややかな目でそれを見やりました。筑紫口のベローチェに向かいました。インド人のランジャン君と打ち合わせです。ランジャン君は定刻通りにやって来ました。きちんとスーツを着て、私のかすれ声と筆談にも真摯に向き合ってくれます。病み上がりの私を気遣ってくれます。気さくな冗談も言います。大事なことは丁寧にメモを取っています。分からないことも正直に質問します。

 

インド人の彼と話していると、先程のニュースを思い出しました。トランプの赤ら顔が頭をよぎりました。続いてアメリカの移民マイノリティがよぎりました。移民に手厳しいトランプが大統領になると、マイノリティには辛い四年間になるでしょう。それはアメリカのマイノリティの話です。ですが、日本とアメリカはそんなに違うでしょうか。違うのであれば、難病マイノリティの私は何故、前日にあのような目に遭ったのでしょうか。難病だけではなくLGBTや移民マイノリティに対して、この国はこのままでよいのでしょうか。アメリカは差別主義のトランプで大変だなあと、高みの見物をしていてよいのでしょうか。

 

ランジャンとの打ち合わせが終わり、筑紫口から博多口に向かう途中で、トランプ氏当確を知りました。無意識のうちに、例の陥没沼の方に視線を向けていました。

 

移民や病気の様々なマイノリティは、マジョリティに埋まりがちです。博多駅の大きな沼に飲み込まれた私は確かに存在していて、それでもメディアでは【目立った人的被害はない】とされます。トランプの【Drain the swamp(沼地を干上がらせろ)!】のあの勢いの裏にも、性的・移民マイノリティがいます。私にはそれらのマイノリティが、目を大きく見開いて不安そうにしている姿が見えます。

 

マイノリティは、少数派です。けれど弱者ではありたくない。卑屈になることもしたくない。マジョリティが大騒ぎしている福岡とアメリカの巨大な沼に巻き込まれぬよう、巻き込まれてもなるべく軽傷で抜け出せるよう、マイノリティとして生きる術を磨かねばと痛感したのでありました。

※情報は2016.11.10時点のものです

カミーユ綾香

北九州市出身。在日韓国人と中国残留孤児の多く住む多国籍な街で育つ。 警固インターナショナルの代表として、十数言語による語学スクールとインバウンド支援の多言語ウェブサイト制作会社を運営する一方、難病の重症筋無力症とパンセクシュアルというセクシュアリティの当事者として、様々なマイノリティの生きやすい社会を目指して精力的に活動中。http://www.kego-international.com/

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