NHK朝ドラ「マッサン」でウイスキー考証・監修を担当/土屋守さんに聞く“ウイスキーブームのこれから”

日本におけるウイスキー研究の第一人者である土屋守さん(ウイスキー文化研究所・代表)に、ウイスキーの魅力とウイスキーブームのこれからの展望についてお話を伺いました。

――空前のウイスキーブームを迎えていますが、その一つのきっかけとなったのは、土屋さんも企画の段階から携わられたNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」でした。

「マッサン」はご存知のとおり、ニッカウイスキーの創始者である竹鶴政孝とその妻リタの物語です。ウイスキーに関する話ということで、NHKのプロデューサーが企画の段階で私のところに相談に来られました。当時の製造方法から二人を取り巻く人間関係まで、綿密に調査・考証を行い、ストーリーだけでなく、セットなどにも反映させてもらいました。全国各地の竹鶴政孝ゆかりの地を回る中で、これまで知られていなかったいろいろな事実が明らかになり、自分としても大変やりがいのある仕事でした。

――土屋さんは、世界屈指のウイスキー評論家として知られていますが、ウイスキーに関する調査・研究を手がけるようになったのは、どのようなきっかけがあったのですか?

私はフリージャーナリストとして、7年間チベットで、そのあと雑誌編集者として5年半イギリスで過ごしました。はじめ、ウイスキーは“One of them”、いわばテーマの一つにすぎませんでした。好きだった紅茶(の調査・研究)をやろうかと思ったらもうすでに何人も先駆者がいた。あきらめて次は釣りのジャーナリストになろうかと思ったけど、これでは食べていけない…と気づく。そこで、「人と同じことをやってもつまらない。自分にしかできないこと、書けないことは何だろう…。」と突きつめていったときに行きついたのがスコッチのシングルモルトだったのです。そしてイギリスから帰国後、2001年にスコッチ文化研究所(現・ウイスキー文化研究所)を設立し、日本の人たちにスコットランドをはじめとする世界各地のウイスキーの紹介を始めました。

――土屋さんとウイスキーとの最初の出会いについて教えていただけますか?

私は高校時代、下宿屋さんに寄宿していて、そこには所属していた高校山岳部の顧問をされていた先生も下宿人でした。あるときその先生が押し入れの奥から大事そうに未開封のウイスキーの瓶を取り出して「お前たちもいい大学を出ていい会社に入ったら、こういう高価なものが飲めるようになるんだ。だからしっかり勉強をがんばれ!」というようなことを言われました。

――そのウイスキーの銘柄を覚えていらっしゃいますか?

忘れもしません。ジョニーウォーカーの黒ラベル、いわゆる“ジョニ黒”でした。当時(1971年)、日本で買うと1本12,000円くらいしたと思います。大卒の初任給が4~5万円の時代ですから、今の価値にすると1本5~6万円くらいでしょうか。そのころ舶来ウイスキーは一般庶民にとってはまさに高嶺の花で、先生もおそらく海外旅行のお土産でもらったのだと思います。「開けて飲むなんてとんでもない!」みたいな雰囲気があって、だから押し入れの中に大事に仕舞っていたんですね(笑)。

――面白いお話ですね。最初に味わったウイスキーのことを覚えていますか?

高校では山岳部に所属していて、そこで山の魅力にとりつかれた私は大学に入学すると探検部に入部しました。その探検部で海外遠征をすることになり、目的地はミクロネシアの島だったんですが、当時は飛行機よりも費用が安いということで、横浜港から船で5日間ほどかけて行きました。乗船してみてわかったのですが、その船はいまでいう“クルーズ船”で、朝昼晩の3食が無料でついていたのにまず驚きました。その船のダイニングバーに、あの“ジョニ黒”があったんです。しかも外洋船なので船内は免税されていて1ショット500円だったと思います。まったく手が出ないという金額ではありませんでしたから、「先生はまだ飲んでいないだろうな…」という優越感に浸りながら、毎日1杯ずつ水割りで飲んだのを覚えています。世界を股にかけて旅する航海士さんの体験談を聞きながら味わうウイスキーはまさに夢のような味がしましたね。

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