ケアの必要なお子さまがいらっしゃるあなたへ~スーパー美容師に会いました~NAI・NAI起業のなまはげみきvol.20

♪NAI-NAI-NAIお金ない、NAI-NAI-NAI 場所もない、NAI-NAI-NAI でもとまらない~.

お金も人脈も知識もなく起業した太刀山美樹です。

 

かつて、私は自閉傾向のある子ども達の自主サークルに8年間、講師として関わっていました。

引き受けた初回の事です。「はじめるよ~」と言っても誰ひとり集まってくれません。みな目線も合わず、バラバラの行動で、挨拶をしようと列に並んでもらおうとするだけで、1時間のレッスンうちの半分を費やし、30分かかってしまいました。

 

これは一例で、当然子ども達が悪いのではありません。勉強不足のまま、指導にのぞんだ私が悪かっただけです。本を読むだけではわからない事が、それからも毎回おこります。まさに事件は現場でおこっている状態。(レインボーブリッジ封鎖できませんって言葉までなぜか浮かんできました w)

力不足を感じ、いろんな方からのアドバイスを請い『相手にとって、わかりやすい運動サポート法とは?』へと、自分の今までの運動指導全体を見直すきっかけとなりました。これは乳幼児やシニアの方への対応にもいかす事ができ、ものすごい勉強となっていきました。(この話はまた別の機会に)

書物を読むだけでは分からないことが世の中にはたくさんあります。

書物を読むだけでは分からないことが世の中にはたくさんあります。

この8年間を一人でできた訳ではありません。当時アシストで入ってくれていた先生が本当に親身に手伝ってくれたおかげです。彼女は若くてきれいな方でした。

今でも鮮明な思い出は、私が行けないときに代行を頼むと、その翌週には、必ず、たっくんから、次の言葉を投げかけられていました。

 

「みき先生はいいです。○○先生にしてください。かわいいです。みき先生はいいです。○○先生にしてください。かわいいです…」

 

「もう〜たっくん。みき先生も一緒に運動させて〜」と笑って答えていても、このセリフを1時間、繰り返されると…。(繰り返しの傾向があると、事情は頭ではわかっていても)みき先生はすっかり寂しくなっていました。

養護学校の教諭をしている友人にこのことを、自虐ネタで話すと、

「障がいを持っている子は正直だから、本当の気持ちをそのまま言うからね…」と真顔で言われ、私はまさに<ふられた女>の気持ちでした。

切ない…・゜・(ノД`)・゜・

切ない…・゜・(ノД`)・゜・

たっくんからは毎回、「1週間、何を食べたのか?」と聞かれるので、覚えている分を答えると、すべて暗記。「みき先生の3月12日は、夜は焼き肉だったね。昼は…朝は…」と、3ヶ月前の食べたものをすべて教えてくれていました。記憶力に脱帽でした。

あとから聞いたのですが

「みき先生の代行の時は、私も1時間、ずっと繰り返されますよ。みき先生は何しているの?こない?お昼ご飯はなに食べたんだろう?」と言われ、ふられた女も、ちょっとホッとしていました。笑

 

あるとき、レッスンが終わり次のクラスとの入れ替えの時間のことでした。お茶を保護者から受け取り、次回のレッスンの話をしていたときに、

「きゃ~~!」と突然、声がしました。

振り返ると、うちのサークルの中学生が、体育館で次におこなう(健常の)ダンスクラスの母親に、お茶をかけてしまっていたのでした。

「なんしよるとや!!」ご夫婦で来ていたお父さんから、大声で怒鳴られました。

「こんな危ないのを外に出していいとか?首に縄つけ家においとけ!おまえら障がい児の親のくせに、なんでお茶なんか飲んでいるとや?」

 

あまりにひどい言葉で、ホールはし〜ん。

 

お茶をかけてしまったのは、理由がありました。その日は次のクラスのイベントだったため、知らない人が次々玄関から入ってきたのでした。いつもと違う様子に戸惑って、お茶をかけてしまったのでした。とにかく、本人をとめに行くのですが、父親の大声で、さらにビックリしてしまい、走って声をあげていました。

お母さん達は唇をかみしめています…。

私は思わず言いにいきそうでした。「あなたの子どもが同じ立場だったらどうするんですか?」でもお母さん達に止められました。

とにかく頭を下げるお母さんと一緒に、私もいっしょに謝りその場を離れました。

 

そして、お母さん達から重たい口調でそれぞれに言われました。

 

「先生これが現実なんです。何か事件があると、その度にまるで障がいを持っている人は危険だと報道に言われているような気がして、先に死ねない。死ぬときはこの子も…そんな事も考えていました。でも、年齢的にやっぱり私が先に死ぬんです。せめてこの子が社会の中で生きていけるようにしてあげたいんです」

「だから養護学校ではない、この普通の地域の体育館で自主サークルという形でしているんです」

「私はそんな所に通わせたくて、電車を乗り継いで南区から西区まできています」

 

そんな気持ちを聞き、私はその後、あとのクラスの指導者にもう一度話に行きました。クラスの趣旨をお話し理解をお願いしました。ほどなくして、次のクラスの子ども達もサークルの子に挨拶をしてくれるようになりました。これはうれしかったです。ひとつひとつ大事だなと思いました。私の配慮がもうひとつ足りなかったのです。

人は誰でも一人では生きていけない。理解し合い、助け合うことが大切なんだと思います。

人は誰でも一人では生きていけない。理解し合い、助け合うことが大切なんだと思います。

やがて8年もたつと幼稚園児だった子も中学生に。小学生は高校生、そして高校も卒業し「たこ焼き屋さんでたこ焼きつくる」という子もでてきて(全員が仕事につけた訳ではありませんが)クラスはみな卒業で解散となりました。

 

私の耳には、今でもあの時の怒鳴り声と、お母さん達の言葉が残っています。

まだ子どもが小さな頃ならば、しては行けない事をしたら、後ろから抱きしめ止める事ができたとしても、思春期の男の子には難しくなります。もう母親の背を、体重をとっくに超えてしまっています。中には思春期に外に出れなく子もいました。「この子の将来が不安だ。食べていけたらいいけど…先の姿が想像できない」お母さん達の声でした。

子を想う親の気持ちは誰でも一緒のはず…

子を想う親の気持ちは誰でも一緒のはず…

そんな中、すてきな男性に出会いました

ひとりは八女高校時代の同級生。小坪さんは、NYから帰国し福岡市に美容室を開きました。昔からの人気者。そしてスタッフの風間さんとお会いしました。

私はその美容室で以前から見かけていて、補聴器も知っていましたが、たまたま私の担当となり、会話も楽しくすすみました。

私はちょうど、社内のスタッフから、4歳になる我が子の聴覚障がいについて、また仕事と子育てについて悩みを聞いていた事もあり、もう少し詳しく彼に聞いてみました。

 

以下、私の友人かつオーナーである小坪裕幸さんが彼の紹介してくれました。

 

風間意之(かざま もとゆき)

S61 9/30生まれ 新潟県新潟市出身

 

彼は生まれつき耳が聞こえません。

しかも高校3年生まで特別支援学校(聾学校)ではない普通の学校に通っていました。しかし耳が聞こえない彼への配慮は無かったために学校ではトラブル続きで喧嘩に明け暮れる毎日だったみたいです。

 

しかし高校生のときに出会った先輩に「このままでは一生ダメになる。何かやりたいことは無いのか?」と問いかけられ、自問自答した結果が美容師への道だったみたいです。彼自身おしゃれが大好きでヘアスタイルにこだわりが有ったみたいなんですが、なかなか美容師さんに伝わらずとても苦労をしたそうです。

 

きっと同じ思いをしている仲間がいるはずと思い手話ができる美容師になろうと福岡の特別支援学校(聾学校)に高校3年から編入、同校の美容科(2年制)に入学し在学中に美容師免許を取得し卒業しました。

 

その後すぐに福岡市城南区の美容室BLUE DOGに入社、7年目のヘアスタイリストです。http://www.bluedog.in

 

18歳までは口話中心の生活だったので読唇術ができ、はっきり口をあけて話をしてもらえればある程度の会話はできます。それでも不安があるときには筆談で会話をさせていただきます。手話はもちろん大丈夫です。

 

現在も多くの手話で会話をするお客様や手話を勉強中のお客様方に支持を頂いていますし、美容室での会話が苦手なお客様にもたくさんの指名をもらっています。

 

彼自身話をするのが大好きなのでたくさんおしゃべりしたいそうなんですけど、なんせカット中には髪を見ているので会話ができません(笑)施術中はご容赦ください。

 

趣味はバイクでツーリング。ヤマハドラッグスター(1100cc)所有。夏は海に出かけで本を読んでいるそうです。

がんばっている方だなと感銘を受けたのと同時に、「なぜ出身の新潟から遠くの福岡まで来られたんだろう?」と聞いてみると、今度はご本人から、以下のメッセージをもらいました。

 

新潟の美容専門学校で入学面接したときに、「どうやって聞こえない相手に、授業を進めたら良いのか?」と問われ

「授業を受けるのが難しいならば、専門学校でやるべきではない」と言われ、面接してくれた先生が、福岡のろう学校を紹介したのがきっかけです。

その時言われたのは、「他のろう学校は、美容科目がなく福岡だけしかない」ということでした。

当然、専門学校からは、不合格通知が来て、それと一緒に福岡のろう学校の、書類も入っていました。

今思えば「諦めるな」という、メッセージなのかもしれません

風間さん。自分に似合う髪型を一緒に考えてもらえます。

風間さん。自分に似合う髪型を一緒に考えてもらえます。

一度自分の入学を断った専門学校の先生にも感謝できている。こうしていろんな事に感謝ができるって素敵だなと思います。そして風間さんは、夢を叶える為に、なんの知り合いでもなかった美容室を「美容師をしたい!チャンスをください!」と自分でドアをノックします。そしてその彼を雇おうと思った小坪さんも英断ですし、さりげなくカバーしてるのは、周りのスタッフの気遣いだと思います。

自分から挑戦した風間さんは、大きな転機をつかみました。その姿をみるだけで私自身、元気をもらい同時に、多くの方に伝えたい。私に悩みを相談してくれたスタッフの森本さんに、未来の話として伝えたいなと思いました。

 

「自分で食べていける。当たり前の生活を送ってほしい」

誰しもが思う、親として、共通の当たり前の願いだとおもいます。

いろんな方が、地域社会で一緒に暮らしている事も、子ども時代から知ってほしいなと思います。

写真は、私がロンドンで見た子ども番組です。超ノリノリのかわいいお姉さんが、手話通訳しています。思わず、NHKのバリパラのディレクターが来福されたときに、このロンドンの番組の話をして、日本でも「『おかあさんといっしょ』で同じように、超ノリノリの手話通訳カッコいいと思います。子ども達のためにもお願いできませんか?」と直訴しました。

 

私はいま、障がいをもっている方のためのクラスをしていません。ミキファニットには、ダウン・自閉・聴覚障がい…などの方も、時折こられ同じクラスにはいり楽しんでいます。(お子さまによってはパーソナルをすすめる事もあります)ささやかな事ですが、いろんな方が一緒に暮らしているというのが、ごくごく普通になったらいいなと願っています。

MIKIファニット本校店長 森本ファミリーです。店長、母、吉本芸人の妻、いくつもの顔を笑顔で行っています。

MIKIファニット本校店長 森本ファミリーです。店長、母、吉本芸人の妻、いくつもの顔を笑顔で行っています。

気になったので学校について、少し調べてみました。

盲学校、聾(ろう)学校及び養護学校の高等部における職業教育等

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/032/siryo/06101716/005.htmより

 

聾(ろう)学校では、一〇七校中七〇校に高等部が設置されており、本科には聴覚障害者の職業的な自立を図る上で歴史的に重要な役割を果たしてきた産業工芸科(四四校)、被服科(三九校)、理容・美容科(二四校)を中心に、機械科(七校)、家政科(七校)、印刷科(六校)等の学科が設置されている。また、専攻科においては、理容・美容科「(二二校)、産業工芸科(一七校)、歯科技工科(三校)等の学科が設置され、さらに専門的な職業教育が行われている。

聾(ろう)学校高等部における本科の卒業者は、聾(ろう)学校の専攻科への進学者が三五パーセント、大学等への進学者が六パーセント、教育訓練機関等への入学者が一五パーセント、企業等への就職者が三七パーセント、社会福祉施設への入所・通所者等が四パーセント、その他の者が三パーセントとなっている。また、専攻科修了者のほとんどは企業等に就職している。

 

【火曜サスペンスMIKI劇場は、毎週火曜日午後10時更新です】

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※情報は2014.7.29時点のものです

なまはげみき 太刀山美樹

福岡県筑後市出身。23歳で結婚出産。地域のママサークルが口コミで広がり、その後「きみ、おもろいね」とNHK福岡や、学校講師に、街角でスカウトされ経験を積む。2006年MIKIファニットを起業。

「どうせ無理と諦めてる子いねえ~が!」

と喝をいれる<幼児教育界のなまはげ>としても活動中。

好きな言葉「来た球は打つ」

MIKIファニット  http://www.mikifunnit.com

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