子育てしながら働くあなたへ~時には甘えて愛人(?)に~NAI・NAI起業のなまはげみきvol.18

♪NAI-NAI-NAIお金ない、NAI-NAI-NAI 場所もない、NAI-NAI-NAI でもとまらない~.

お金も人脈も知識もなく起業した太刀山美樹です。

 

ま〜たこんなタイトルつけて!と、お叱り受けそうですが、これにはこんな話がございます。

 

子育てと仕事の両立。今は、子ども達も社会人と大学生で一人暮らしをしていますが、小さい時は、どうしようもないときが、随分ありました。仕事中に保育園から電話があると、ドキッ「長く休む病気だったら?」迎えに行きながら、子どもの心配のほかに、迷惑かける仕事はないか考えるような親でした。

娘が1年生の頃、1週間休むことになります。山場は越えたあとの後半、頭の中はパチパチ思考します…

 

・もう熱も下がり元気もあるが、学校には1週間行けない。

・祖父母も都合合わず、ママ友も難しい。預ける人がいない。

・ひとり置いておくのもできない。

・主宰していた親子サークルは事情わかると日程変更してもらえる。

・単発の講師依頼は日程変更できない、代行もいない。

・娘は本があると機嫌がいい。

 

いよいよ困り、依頼先の公民館に相談すると、「図書室にいてもいいのでは?連れて来たら」と言っていただきました。

解説:いつもの娘は、いつも市図書館に行くと「嫌だ。帰らない」と駄々をこね、2時間でもとどまっているほどの本好き。小学生にもなっているので、公民館の図書室でも待てるのではと、連れて行きました。

「うわ〜この図書室!!本いっぱい。いいな~♪ママお仕事だから、ここで待っていてね」と子どもをおき、隣の大ホールで講座をしていると…。そりゃ無理ですよね…。幼い娘は待てずに、ホールにちょこちょこ出てきては「ママ〜」と、不安そうに来てしまう。

1年生の子が90分も待てる訳がなく、私は当時はもう子育ての講座もしていたのに、「静かにして」と、目でキッと合図。その対応と言えばひどい親です。しかも帰りの車の中では「もう少し我慢できるでしょ。もう小学生だよ。」そんな勝手な言い方しかできなかったんです。そしてきまってそんな夜は、子ども達の寝顔を見ながら、今度は自己嫌悪でうるうる…。

ごめんね。私の勝手なおもいで、勉強しに行って仕事をして(収支もあわず)子育てに手を抜いていない自信はあったけど、やはり寂しい思いをさせているかもしれない…

仕事、子育て、時間のない中の資格試験、全力投球。(あ、家事はそこそこでした)私のココロが張り詰め余裕がなかったと思います。

時間に追われ、心に余裕が持てなくなっていました…

時間に追われ、心に余裕が持てなくなっていました…

「ああ、明日はまたどうしよう。別の公民館講座だ…」でも頭の中でパチパチ思考をしても同じ結果しかでてこない。でも、ここを乗り越えると、もうあとは家で子どもとゆっくりできる。そうおもい翌日も不安をかかえつつ、娘に大人の事情を話しながら、10年ほどお世話になっている公民館に行きました。ところが、娘はその日に限って、超お利口さん!!一度も出てこなかったのです。慣れてくれたんだ…。ありがと。

 

講座後、事務室で館長とご挨拶している間でさえも、娘は本に夢中でした。ならばこの隙にと、元小学校の校長だった館長とお話し。いつもいろんな教育論を伺っていて勉強させていただいていました。

「太刀山さん。この公民館があなたが名前もなき時から、ずっと指名して呼んできたのはなんでだと思う?…太刀山さんは、毎年新しい事を勉強してきてたんだよ。私は、こういう人に子どもの前に立って欲しいと思っていたんだよね。それはもうずっと昔のこと、私が教師になり、初めて赴任した職員室の黒板の上には額があってね。そこには、『前に進み行くものだけが、子どもの前に立つ権利あり』って書かれていたんだよ。それが、すごくココロに響いたんだ。そうだ!教師は勉強していく姿を子どもに見せていくべきだと!…またね、こんな話が司馬遼太郎さんが書いた『坂の上の雲』の中にあってね…」

 

『坂の上の雲(司馬遼太郎)第2巻』文中より引用 P309〜

 真之は滞米中からおもいつづけてきたことを、子規に話した。

「~たとえば軍艦というものはいちど遠洋航海に出て帰ってくると、船底に牡蠣ガラががいっぱいくっついて船あしがうんとおちる。人間も同じで、経験は必要じゃが、経験によってふえる智慧とおなじ分量だけの牡蠣ガラが頭につく。智慧だけ採って牡蠣ガラをすて人間にとってすてるということは人間にとって大切なことじゃが、老人になればなるほどこれができぬ。」

 

「僕は、経験も、長年の勘が身に付くのだから、<牡蠣がら>が全部悪いとは思っていない。ただね、自分に<牡蠣がら>がついているから鈍っているかもしれないという自覚がいるんだ。特に、僕らは気をつけんといかん。わかるかい?」

「…いえ…どういう事でしょう?」

「人に、先生!先生!と言ってもらえる職業の人は危ない。自分が大将で偉くなったみたいに思えていると、<牡蠣がら>が体に重たくついている事に、気ずかぬ事がある。重たくなっている自覚がないと、氷山などの危機に、舵取りが間に合わず船が倒れるしね。先生商売の人こそ、陸にあがり勉強することが大切だよ。わかるかな?」

「陸とは、海とは違う世界と言う事ですか?」

「そう。定期的に陸上に勉強に行き事は大事なんだよ。今の自分に足りないものを知り、新たな自分をめざす。余分な船底の<牡蠣がら>は、陸の上で定期的に、ガ〜〜っと削ってこないといかん!そう思っていたんだよ。太刀山さんは、毎年ずっとしてきているんだよね。だから昔から、この人は面白い!売れる!と思っていたよ。ね、僕の見込みはあたっていたね。」

遠くまで航海するにはできるだけ身軽がいい。

遠くまで航海するためには、船底はキレイに、荷物は身軽で、心は謙虚で-。

そんな事を言ってもらって感動している私にさらに

「でね…、十分がんばっているのはわかっているから、もっと周りにも甘えなさい。応援してくれる人はいるからね…。さて僕には、長年しょってきた福岡の子どもを元気にする『タスキ』がある。このタスキは、今後は君に渡すからね・・・」

その3月、館長は定年を迎えられ退官される予定で、その言葉にまた泣いてしまった私でした。そして

「そうなんだよ、僕はね、昔からあなたのことは手を付けていた」

「え??」 なぜか、その部分を流さずちゃんと聞き取れてしまった私は、涙で潤んだ目で館長を見て言った。

「私は館長の愛人だったんですね・・・昔から『手』をつけられていたとは…」

「あ〜!!、『目』をつけてたの間違いだよ〜〜」

二人で、目を合わせ大爆笑でした。

(なまはげ妄想)「太刀山くん」「館長…ダメです…」

(なまはげ妄想)「太刀山くん」「館長…ダメです…」

さて、帰り道の車の中、ココロもすっかりスッキリし、娘に「めっちゃ、えらかったね!好きな本があったと?」とにっこり聞いてみると…

「○○ちゃんは頭のいい子になるよ。これだけ、難しい本も読めるんだからね。ってね、おじちゃんが、時々来てほめてもらった〜♪わたし、頭がすご〜くよくなるんだって・・・」 とニコニコ、私を助手席から見上げる娘の言葉。

おもわず泣きました。もと小学校の校長だった館長でした。「子育ては人にも甘えなさい…」さっき聞いた言葉が耳に戻ってきます。

 

私は、どこか片意地張っていたのだと思います。

「ゼロからの私にとって、まずは勉強だ!」と、人が受けない仕事に(お金にならなくても)トライしてた時代でした。当時の活動収支は完全赤字。

「仕事なの?ボランティアなの?」と聞かれる状態にも関わらず、途中から2人の子どもを保育園に預けたことで、どこかうしろめたさがあったのだと思います。

 

だから余計に、子どもも保育園で頑張っているんだから、私も…、

「勉強は絶対する!仕事しながら子育てには手を抜かない」と、離乳食も、子ども服も、おもちゃも、ほぼ手作りしていました。何度、仕事の帰り道、運転しながら中央分離帯にツッコミそうになったことやら・・・。夜中に、合わせて試験勉強をしていたので寝てなかったんですね。(あ、白状しちゃうと、家事は完璧ではなかったです 笑)

 

「私ががんばらないと、どうにもならない」と、その頃は思っていました。でも私ががんばってもどうにもならないこと、たくさんあったのです。

 

子育ては一人ではできません。みんなで育てていただく。

そして、親も社会の中で育っていくものだとつくづく身にしみました。

 

私のような同じ思いの方は多いはず。だったら私はその方たちの応援をする。

この経験も、MIKIファニットを起業する際の思いになっていきます。

子どもが1人で生きていけないように親も1人では無力なんです。

子どもが1人で生きていけないように親も1人では無力なんです。

みなさま、私とあった時は透視をしてください。

(はだかの王様と笑われそうですが)

私の自慢は、金色のタスキが肩からかかっていることです。

 

館長に、大事なタスキのひとつを渡していただいます。

本当に、ありがたい事です。

私には、このタスキを、MIKIファニットのスタッフに。

またさらに、たくさんの方の肩に渡していこうと思っています。

 

私は、地域の公民館の講座で育てていただききました。

「ただいま~」と、まるで冷蔵庫も勝手に開けちゃうような気持ちになる実家だと、思っている公民館が私にはいくつかあります。本当にしあわせもんです。

 

そんな話を思い出しながら私は、先週からの強制送還?パスポート事件(https://fanfunfukuoka.com/column/10316/) もあった出張は続き、連日の飛行機移動でした。

 

シンガポール→マレーシア→シンガポール→福岡→愛媛松山→福岡

と移動し、松山の研修の仕事にうかがった際には、思い出の『坂の上の雲ミュージアム』に、閉館間際に走っていきました。

 

『坂の上の雲』時代は明治。2人の兄弟と正岡子規と3人の登場人物が出てきます。

大きな変革の時です、このミュージアムではその学びがたくさん詰まっていました。

様々な分野の若者が力強く活躍し、また次の人へと、まさにタスキリレーを繰り返し時代を作り上げていってました。

その様子を見ながら、私は<牡蠣がら>の話、金のタスキ、愛人(笑)の話を思い出し、ひとり、正岡子規さんに話しかけ微笑んでいました。

 

坂の上の雲ミュージアム http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

正岡子規とツーショット

「あのね。坂の上の雲でね…」「うるさい!執筆中は話かけるな!」と怒られながら、正岡子規さんとツーショット

バリイさんに負けたくない愛媛のゆるキャラみたいです。名前が似ていたので撮ってきました。

バリイさんに負けたくない愛媛のゆるキャラみたいです。名前が似ていたので撮ってきました。

表紙の『前に進みゆく者だけが、子どもの前に立つ権利あり』の文字はMIKIファニットスタッフ、野村沙代さんが心を込めて書いた文字です。本校スタジオに飾っていますので、のぞいてください。弊社は芸達者で自慢のスタッフばかりです。

 

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【火曜サスペンスMIKI劇場は、毎週火曜日午後10時更新です】

※情報は2014.7.15時点のものです

なまはげみき 太刀山美樹

福岡県筑後市出身。23歳で結婚出産。地域のママサークルが口コミで広がり、その後「きみ、おもろいね」とNHK福岡や、学校講師に、街角でスカウトされ経験を積む。2006年MIKIファニットを起業。

「どうせ無理と諦めてる子いねえ~が!」

と喝をいれる<幼児教育界のなまはげ>としても活動中。

好きな言葉「来た球は打つ」

MIKIファニット  http://www.mikifunnit.com

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