「日本一のバラ」誇りを支えに〝冬の時代〟を知恵で乗り切る

福岡市東区唐原のバラ農家、田代俊子さん(66歳)の家はこれから最盛期を迎えます。田代さんのバラはかつて日本一に輝きました。その誇りと責任を胸に「いまは冬の時代」というバラづくりに取り組んでいます。

田代さんが育てる美しいバラ

田代さんが育てる美しいバラ

ブドウ産地からバラ栽培に切り替え

福岡市中央区薬院に住んでいた都会っ子の俊子さんが、代々の地主だった田代家に嫁いできたのは1975年。現在はすっかり住宅街ですが、当時は水田ばかりでカエルの鳴き声がうるさいほどだったそう。JR鹿児島線の九産大前駅もまだありませんでした。

唐原一帯はブドウの産地。田代家もブドウのほか米、ミカンなどを育てていました。重労働の農作業に田代さんが体調を崩し、親類の勧めもあったことから、88年ごろブドウからバラ栽培に切り替えました。しかし最初の3年ぐらいはいい花が咲かずに苦労したそうです。

 

「手間暇かけた苦労が、開花で報われます」

「とてもキレイに咲いてくれて、世話をした苦労が報われます」と穏やかに話してくれます。

「とてもキレイに咲いてくれて、世話をした苦労が報われます」と穏やかに話してくれます。

現在、バラは温室で水耕栽培しています。以前は土で育てていたそうですが、人手がかからないことから導入しました。

気を遣うのは水、肥料、温度管理。特に、水耕栽培に使う地元の井戸水はアルカリ性が強すぎたので、ためた雨水を混ぜて中和しています。 バラの木は古くなると花の付きが悪くなるため、3、4年ごとに木を植え替えます。ベーシックに人気のある品種は長く、それ以外のものは短い周期で変えていくそうです。品種ひとつひとつで育て方も出荷のタイミングも違うのも手間がかかります。 夫の公俊さん(67歳)は設備、消毒、肥料の担当、田代さんは、脇芽刈りなどの手入れを担当しています。

今では品質低下と量が不足しているため、市場出荷はしていません。そのため、現在は生協とJA福岡市東部の直売所「愛菜市場」に栽培できたわずかな本数を出荷。「バラは花がとてもきれい。手間暇かけて世話をした苦労が報われますね」とやりがいを語ります。

 

輸入バラの進出や生活習慣の変化で減る需要

しかし「バラなどの切り花農家にはいまは厳しい時代です」と田代さんは言います。理由はいくつかあるそうです。

1つは気候の変化。以前は1年中出荷していましたが、ここ数年は夏の猛暑が厳しくなり樹勢が弱くなるため、通年出荷できなくなったそうです。2つ目は外国からの輸入バラの進出による価格の低迷。3つ目は花を贈る機会が減ったり、家庭で切り花を飾る習慣が少なくなったりしたことによる需要減だそうです。

付近の切り花栽培農家も次々と廃業していきました。田代さんには一男二女がいますが、農家は継いでいません。

 

97年にスープレスで品評会の最優秀賞

「それでもバラだけはやめられません」と力を込める田代さん。それには理由があります。1997年に「第40回日本ばら切花品評会」で最高賞の農林水産大臣賞を受賞したからです。品種は、花弁の先端が淡いピンク色に染まる白地のバラ「スープレス」でした。

最初は応募する気もなく、締め切り前夜に懐中電灯で照らしながら目立つ花をバタバタと出品したそうです。夫の公俊さんは受賞の電話をなかなか信用しなかったとか。

「みんなが喜んで、受賞パーティーまで開いてくれました。お祝いの言葉を聞いて、苦労してもやっていて良かったと思いましたね」と田代さん。みんなの喜ぶ笑顔、産地が日本一になったという誇り、それが今も彼女を支えているのです。

息子さんが植えたパパイヤの木

息子さんが植えたパパイアの木

 バラは多いときで20種類以上を栽培していたこともありました。しかし、今は不振を考慮して、温室4棟で育てていたバラを2棟に集約して、余裕の出た場所でニラや芋茎(ずいき)を育てています。また、息子さんが植えたパパイアが育って実をつけ、いい収入になっているそうです。 

農業も経済活動である以上、需要と供給の厳しい関係にさらされることもあります。ですが、田代さんはまた芽吹きの春が訪れることを信じて、今日も夫婦でバラの手入れを続けていることでしょう。

※情報は2017.12.25時点のものです

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