佐賀藩のお姫さまに会いに行こう4 「貢姫(みつひめ)」後編

今日は、めずらしい写真の話から始めようと思います。
下の家族写真は、鍋島家が東京で撮られたもの。江戸から明治に変わった後、鍋島家は佐賀から東京に移られ、「佐賀の七賢人」10代鍋島直正(なおまさ)公の長男・直大(なおひろ・11代鍋島家当主)公は、明治17(1884)年、侯爵になりました。

明治期の鍋島家の集合写真。公益財団法人鍋島報效会所蔵
貢姫は23歳で夫が病没した後、27歳で出家。明治維新をはさんで数年、佐賀に戻り、最愛の父の死後は、東京・永田町にあった鍋島邸のとなりに住んだ。

明治期の鍋島家の集合写真。公益財団法人鍋島報效会所蔵
貢姫は23歳で夫が病没した後、27歳で出家。明治維新をはさんで数年、佐賀に戻り、最愛の父の死後は、東京・永田町にあった鍋島邸のとなりに住んだ。

直大公の9つ年上のお姉様、貢姫は前列中央の年配のご婦人です。その右弟さんの直大公&栄子(ながこ)ご夫妻。

貢姫については、前回、簡単なプロフィールを書きましたが、
佐賀藩のお姫様に会いに行こう「貢姫」前編

貢姫と栄子夫人以外の女性たちは、若い方ほど髪の毛が膨(ふく)らんでいます。これは「庇髪(ひさしがみ)」と呼ばれた明治末期~大正にかけて女学生を中心に流行したヘアスタイル。川上貞奴(さだやっこ)という人気女優が始めたもので、中には大きく膨らますための詰め物(付け毛など)が入っています。

よく見ると、貢姫様は両足が〝ハ〟の字になっていて、かなり内股でいらっしゃいますね。着物しか着なかった時代の日本人女性はこうだったそうです。

1枚の写真の中に、羽織、はかま、ぞうり、パラソル、庇髪、男性の洋装、革靴、シルクハットと、服装の移り変わりが入っていて興味深いですね。

貢姫様(1839~1918)は80歳まで生きられましたが、江戸の天保(てんぽう)から幕末、明治、大正と、日本の歴史が大きく変わる転換点を経験されました。ご本人もまた、7才で佐賀から江戸へ、17才で川越松平藩の藩主に嫁ぎ、23才で未亡人になり、出家。やがて嫁ぎ先の松平家ではなく、実家の鍋島家の庇護をうけ、東京永田町にあった鍋島家のお隣に居をかまえ、生活されました。

貢姫と同時代に制作され、鍋島家に伝わったお衣装。貢姫は7つのとき、佐賀から江戸の佐賀藩邸に移ったが、当時の遺物に、着物のたもとの丸みの部分用の型紙が4、5つ残っている。姫の成長に合わせて、着物の寸法や造りが変わるため。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

貢姫と同時代に制作され、鍋島家に伝わったお衣装。貢姫は7つのとき、佐賀から江戸の佐賀藩邸に移ったが、当時の遺物に、着物のたもとの丸みの部分用の型紙が4、5つ残っている。姫の成長に合わせて、着物の寸法や造りが変わるため。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

はんなりと上品な風合いの中にも、細部まで凝った布地。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

はんなりと上品な風合いの中にも、細部まで凝った布地。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

貢姫がそばに置いて、手回り品を収めたとされる台。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

貢姫がそばに置いて、手回り品を収めたとされる台。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

貢姫のお父様は、幕末の名君とうたわれた10代鍋島直正公ですが、いまの父娘とちがって、直正公と貢姫とは一生のうちに、そう多くの回数、お会いになってはいないのだそうです。それでも、ほかの子供たちに比べて、父・直正は貢姫に対しては、個人的な感情を表したり、とても気が合ったようです。

佐賀城で誕生し、7歳で正室に養育されるため、佐賀から江戸へ移り、17歳で川越松平藩に嫁ぎ、23歳で未亡人になった貢姫とお付きの老女・幾山(いくやま)などに父・直正公が書き送った手紙は、現存しているだけで200通もあります。

松平慈貞院(貢姫)と兵動綱江(ひょうどうつなえ)のツーショット写真。大正4(1915)年に撮影された。二人は同世代で、綱江は70年にわたり、貢姫に仕えた。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

松平慈貞院(貢姫)と兵動綱江(ひょうどうつなえ)のツーショット写真。大正4(1915)年に撮影された。二人は同世代で、綱江は70年にわたり、貢姫に仕えた。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

一番長い手紙は(昔の書簡は和紙の巻紙に墨で書かれていますが)、167センチほどもあるそうで、内容はおもに貢姫が習っていた和楽器(お琴、笛など)の曲目に関する事柄ですが、そんな細かいことまでお心に掛けられるとは、いかに可愛がられた娘だったかがわかりますね。

貢姫の笙(しょう)の笛。父・直正公から譲られたもの。貢姫は7歳から楽器を習い、雅楽に親しんだ。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

貢姫の笙(しょう)の笛。父・直正公から譲られたもの。貢姫は7歳から楽器を習い、雅楽に親しんだ。
公益財団法人 鍋島報效会所蔵

直正公は12歳でご結婚されましたが、最初のお子さんである貢姫を側室・山本勇との間にもうけたのが26才のとき。その後は、貢姫をふくめ18人のお子様がたに恵まれました。

貢姫と11代鍋島家当主となった弟の直大公は9つ年が違いますが、弟夫婦がイタリアの公使(大使)をつとめ、鹿鳴館で洋装でダンスをしたことと比べれば、貢姫は「江戸時代の武家の女性」、姫君という言葉がふさわしい感じがします。

7つのときから直正公の正室・盛姫から手細工を習われ、子供のころから書が得意。そのほか、絵、雅楽器、漢書、香道、乗馬などをたしなまれました。貢姫が作られた本格的な作品、日常をいろどったかわいらしい作品、写真でごらんください。

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