【中村裕子】突然命奪われた無念さ マレーシア航空機の仲間たちを悼む

1998年1月10日、マレーシア航空の日本人乗務員として現地での生活をスタートした。乗務員は機種ごとに免許が必要で、私は大型機3種類の免許を持っていた。当時一番の新機種ボーイング777は、覚えることが多く、私はあまり好きではなかった。それでも実家のある福岡に仕事ついでに帰るにはこの機種をオペレート(乗務)して帰らねばならず、乗務回数が多い機種だった。

今年3月、この同機種のマレーシア航空機が消息を絶ち、7月に撃墜された。両飛行機の機長は、福岡便でも一緒に飛んだ仲間だった。乗務員もそうだ。特に行方不明機に乗務していたチーフは、新人時代によくフライトが一緒になりお世話になった。家族がいて恋人がいて、みな彼らの帰りを待っていた。海外からお土産を手に、普通に帰宅するはずだった。その「普通」が、きっと彼ら自身も分からぬまま奪われてしまった。

乗務員の訓練はとても厳しく、とりわけ非常事態においてはいろんなケースを想定して訓練を受けている。あの2機に乗務していた乗務員はみな、10年は飛行経験があるベテランだ。そんなベテランの彼らでさえも何もできないようなことがあのとき、起きていたのだ。

「どうせ死ぬなら空中に散って亡くなりたい」。空で働く者として私は現役時代、よく口にしていた。でもその不謹慎な言葉が仲間に降りかかり、心底思うのは、自分の意志とは関係なく突然人生を終えるほど、無念で悔しいことはないだろうということだ。

終戦記念日を前にして平和とは何か、考えさせられる時間を与えられている気がする。

 

from西日本新聞「わたし活性化計画」面

※冒頭の写真は、今回行方不明機になっているMH370便の客室最高責任者とマレーシア航空時代の中村さん

※情報は2014.8.9時点のものです

中村 裕子

アジア系航空会社を経て、各種専門学校・大学で就職セミナーや面接指導、英語の授業を担当。「コミュニティラジオ天神」で毎週火曜午後2時から、女性を応援する番組「MOVE for NEXT」のパーソナリティを務める。

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