次々と消えた昭和の屋台。博多の名物として生き残ったわけ

iStock.com/KathrynHatashitaLee

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 福岡の夜といえば…、そう!屋台ですね。今では全国から訪れる観光客のみならず、海外からの旅行者でにぎわっています。なかには、行列ができるほどの繁盛店もあるほどです。名物の博多ラーメンや焼きラーメンや焼き鳥の定番だけでなく、最近では洋食やジビエ料理などが食べられる屋台も登場するなど個性が光ります。

 福岡市の試算では、屋台の経済波及効果は推計53億円を超え、大事な福岡の観光資源となっているのです。現在も、福岡市内では、100軒超の屋台が営業しており、まちの風景として夜の彩りをつくりだしています。

■福岡の商売人の熱意で存続
 屋台の歴史は古く、日本に登場したのは、江戸時代とされています。寿司や天ぷら、そばなどを出す屋台が出現してきたといいます。そして、時は第二次世界大戦後。戦後の混乱期、屋台の数は全国で爆発的に増加しました。一軒家の店を構える余裕のない人が、簡単に手っ取り早く商売を始められるからです。福岡の屋台もこの時代に誕生したといわれています。ただ、あまりに無統制で放任されていたため、衛生面や美観の問題などから一斉に厳しい規制が敷かれ、全面廃止の方針がとられることに。結果、全国的に屋台は減少の一途をたどりました。

 そうした中でも、福岡の屋台の商売人たちは違いました。昭和25年に「福岡市移動飲食業組合」を結成し、屋台存続を求めて自治体や国に働きかけたのです。粘り強い交渉の甲斐もあり、昭和30年には、国から屋台の営業が認められることになりました。

■「一代限り」から公募へ
 その後も福岡の屋台は増加し続け、昭和40年のピーク時には400軒を超えるまでになったのです。ですが、衛生面や歩道の占拠、騒音や悪臭といった周辺住民とのトラブルなど多くの課題が山積し、福岡県警によって「屋台営業は原則一代限り」の方針が示されことから、年々廃業者が増え、その数は減っていきました。その後、2013年に屋台を町の文化として残していこうと、福岡市によって「福岡市屋台基本条例」が制定されました。ルール遵守状況のチェックや,屋台の環境改善整備が進み、一定の適正化が図られ、「原則一代」という規制は見直されることになりました。今では、福岡市は一定数の屋台を維持するため、新規参入者への道を開く公募を始めました。ただ、新規参入者にとって、屋台を続ける労力は想像以上の負担となっているようです。

 これからも屋台は福岡の名物としてあり続けるのか。福岡の商売人たちの取り組みにも目が離せません。

※情報は2018.12.17時点のものです

rata

会社を退職して九州(主に福岡)を離れ、転勤族の夫と大阪へ移住したばかり。 大阪のオバちゃんのコミュニケーション能力に驚く日々。 甘~い刺身醤油がとても恋しい。

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