日本一のすごろくコレクター山本正勝さん 再訪レポート

●翔奉庵・すごろくコレクション(日本編)

「仏法雙六(ぶっぽうすごろく)」

天台宗の末学の僧に仏法の教義を理解させるために作られた「仏法雙六」は、中央下部の振り出し「南贍部洲(なんせんぶしゅう=人間界、現世を指す)」から上り「法身(ほっしん)」を目指すすごろくです。悪い目が出れば地獄へ落ち、良い目が出れば天上へと昇れます。文字だけで構成されており、遊びというよりは堅めの学問の印象が強いです。すごろくとはいえ、見た目からも楽しそうではありません。庶民には遊ばれませんでした。木版のすごろくとしては最古のもの。13世紀後半頃から用いられたようです。

「浄土双六」

中央下部の振り出し「南無分身諸仏」から最上部の上り「法身」を目指す点は「仏法雙六」と同じ形式ですが、このようにマスごとに絵が描かれるようになったのは「浄土双六」が最初であり、絵双六の始まりとされています。諸説ありますが、17世紀中頃に誕生したというのが一般的な説。絵があるため、わかりやすく、庶民にも遊ばれました。ただ、このすごろく、恐ろしいのは「永沈(ようちん)」という最下部にある地獄のマスです。このマスは絶望を意味し、ここに入ると二度とここから出ることができません。現在のすごろくでもお馴染みの「一回休み」「振り出しに戻る」などの原型になったマスだそうですが、いくら何でも厳しすぎやしませんか・・・。まぁ、それだけ地獄が怖い所という教えなのでしょう。サイコロの目は数字ではなく、「南・無・分・身・諸・仏」の6文字。

「新板大芝居顔見世飛双六」

山本さんが収集を始めるきっかけとなった記念すべき翔奉庵・収蔵第1号のすごろく。こちらは江戸時代、墨摺りによって作られたもの。芝居を題材とし、芝居小屋の客席から舞台まで進んでいくのですが、飛双六(とびすごろく)の形式を取っています。飛双六とは、サイコロを振って出目の数だけ1、2、3・・・と駒を動かすすごろくとは異なり、出目によって進む先のマスが指定され、文字通りあちこち飛び回るようにして上りを目指すすごろくのこと。この時代、こういった飛双六は珍しくなく、むしろポピュラーなタイプでした。

「能狂言雙六(すごろく)」

幾重にも折り畳んであり、写真に収まりきれないほどの大きさがありました。遊び道具というよりも芸術品の域です。

「宇治名所雙六」

宇治の名所を肉筆で描いた美麗なすごろく。サイコロの目が宇・治・名・所・雙・六になっており、その目のマスへと移動する飛双六です。江戸時代、文化・文政(1804~1829)の頃に作られたもの。当時、旅はブームになっていて、人気浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」を始め、浮世絵の多くに名所が描かれるようになり、それに便乗する形でこうした名所・旧跡を回るすごろくも次々と現れました。旅へ行くことのできない庶民にとって、名所すごろくは夢の詰まった、癒しの存在でした。現代はネットで調べれば、すぐに写真や映像でその場所を知ることができますが、この時代は絵にしか情報がないのですから、名所すごろくで遊んだ人々の空想は広がり、わくわくしたのだろうと思います。

「新板わ里出し双六」

江戸時代末期には浮世絵の隆盛とともに、このような木版多色刷りの美しい絵すごろくが作られるようになりました。木版による量産という流通上の革新が、浮世絵だけでなく、すごろくの普及にも大きな役目を果たしました。本作は芝居小屋仕立てになっていて、客席の桝席がマスで、舞台が上りというユニークな構成。役者・芝居をテーマにしたすごろくは庶民の間で愛され、役者人気や歌舞伎人気を支えました。

「狂歌芝居雙六」

明治時代に入ると赤の色味ががらっと変わります。江戸時代、淡い朱色のような赤だったのに対し、派手で鮮やかな赤に。江戸時代の赤には気品があって、個人的にはこの時代の方が好みです。

「太閤秀吉出世双六」

豊臣秀吉の出世を描いた広告すごろく。内容とは関係なく、中央に化粧品の広告が載っています。すごろく遊びをする時間はずっと遊ぶ人の視界に入るということで、このようにすごろくに広告を載せる手法が流行しました。広告チラシは引き札と呼ばれ、近代広告の先駆けとなりました。「五十倍の効力ある 美顔ビュウティ」など、広告特有のキャッチコピーもここから始まったとされています。

「新案元日双六」

元日をテーマにした広告すごろく。こちらは広告が入る前の稀少なもの。「この枠に広告入れませんか?」と商店向けに営業していたのでしょう。

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