とんこつの里に帰って来た! コッテリ学ぶ博多ラーメン再入門☆丸星ラーメンの巻

先に書かせてもらったように元祖長浜屋は、自分にとって「地元ならではの特殊な食べ物としてのとんこつラーメン」を強く意識するきっかけになった店だった。

※「元祖長浜屋の巻」⇒https://fanfunfukuoka.com/column/12305/

 

しかし、まだまだそんなことを意識するようになるよりず~っと前、確か小学生の頃に親に車に乗せられて食べに行き「大人がこんなに集まってきてダダダーっと食べていくラーメンって何だかスゴいものなんだな」ということを、ごく素朴に意識し、またその勢いみたいなものに圧倒された経験があった。国道3号線を久留米方面にずっと走って行ったところの道沿いにあり、バラックみたいな建物で食べたような記憶があるけど、あれはどの店だったかなぁ?と、このブログの話をいただいて以降、だんだんと気になってきていたのだった。

 

その疑問の答えがあっさりわかったのは、TVでたまたまある番組をチェックしていた時のこと。久留米在住のタレント内堀富美さんが「久留米人のソウル・フード」ということで紹介していた、国道3号線沿いのお店、丸星ラーメンの外観、そして店内の様子を見てピンと来てしまったのだ。後でインターネット上の画像をいろいろ検索して、母に確認を求めると、確かに「星」の印が付いたお店だったと言うので、ほぼ間違いはないはず。それに、調べれば調べるほど、必ず食べておかなければならない有名店であることもわかってきた。

丸星ラーメンの外観

丸星ラーメンの外観

そこまで判明したら、迷っている暇はない、ということでさっそく訪ねてみた。

 

インターネット上ではすでに噂になっていたが、やはり入り口には「店内撮影禁止」の貼り紙! 一瞬ひるんでしまったが、めげずにミッションを続行することにした。

 

入り口に設置されていた自動販売機で買ってきた食券(ラーメンは最近値上がりしたとのことだが、それでも400円!)をテーブルの上に置いて席に座ると、すかさず店員のおばさん(見る限りは、ここの店員は全員女性のようだ)がやって来て「麺の硬さ」を尋ねられる。硬さは「かた」と「やわ」の2種類。面白いのは替え玉で、最初のラーメンが運ばれてきた時にテーブル上に「替え玉」券が置いてあると、早くも「替え麺、まだ早い~?」と、歌うような独特の調子で尋ねられる。えっ、もう注文しなきゃいけないの?と思ってしまったが、替え玉まで含めて急いで食べていきたい人のことを考えての配慮なのだと思う。

 

それと食券上には「替え玉」と印刷されているのに、質問する時は「替え麺」となっているのも興味深い。今でも久留米では「替え麺」と言う店が多いという話は聞くが、独特の調子も含め、このお店の創業時からのスタイルを今に伝えているのかもしれない。

 

ほどなくして出てきたラーメンは、極めてシンプルだが、透明感が少なく詰まった感じのやや濃いめの乳白色のスープが表面の脂の層を通して見えてる感じが久留米ラーメンならでは。そして久留米らしいクリーミーな味わいがちゃんとある。久留米ラーメンの「証」と言われることもある海苔も、小さいがしっかり載っている。ネギは濃い緑だが、博多万能ネギよりちょっと大きめか。

 

小学生の頃に来た時に印象的だったのは、周りの大人がせっかくの白濁スープの色が赤くなってしまうほど、ラーメンに紅しょうがを山盛り入れてたことだったが、このお店の紅しょうがの入れ物は確かに他店よりちょっと大きめ。もうひとつ、たくあんが用意されているのが面白い。これは、ラーメンと一緒に注文可能なごはん用のものだと思われるが、いろんな方のブログを検索してみると、ラーメンにたくあんを入れて食べるのが好きな方もいる模様。次に訪ねた時は試してみたいと思います(笑)。

 

このブログを書き始めてから、この辺りのラーメンのことを知るための基礎的なテキストとも言える本が存在していることを知り、その原達郎著『九州ラーメン物語』(九州ラーメン研究会/1998年)をインターネット上の古書店で探して手に入れてみた。さっそく開くと、この店のこともしっかりと記されている。

 

それによるとは、丸星ラーメンは昭和33年創業(西暦では1958年。野武士軍団と言われていたころの西鉄ライオンズが対巨人の日本シリーズで3連敗した後、鉄腕、稲尾投手の活躍で4連勝して日本一になり「伝説」を作った年でもある!)。開通して間もない国道3号線沿いに、増え始めた長距離トラックやマイカーのお客さんが立ち寄れる「ドライブイン」として始められたのだそう。駐車場がやたら充実していたり、道の脇に大きな看板が立っていたり、ラーメンを食べ終わった後、どんぶりに「毎度ありがとうございます」という文字と共に「祈る安全運転」とか書かれているのが見えてきたりするのは、この店のルーツからして当然ではある。そして今も、丸星ラーメンのロード・サイドの店としてのスタンスは全く変わっていない。上で触れた「替え玉」提供のタイミング確認も、きっと急いでいるトラック・ドライバーの方たちへの気遣いから生まれたものではないかと思う。

駐車場

駐車場

 

3号線沿いにある大きな立て看板

3号線沿いにある大きな立て看板

実際、この店は車好きの間ではかなり知られているようで、佐賀県出身の田中むねよしが自動車雑誌に連載していたマンガ『BOLTS AND NUTS』にも頻繁に登場していた、ということを、東京在住の車好きの知り合いから教えてもらったりもした。

 

丸星ラーメンが、マルタイのインスタント食品、いわゆる棒ラーメン(マルタイラーメン)ではなく袋めんの方のヒット作「屋台ラーメン」(1969年発売)開発の際のお手本になったという話が、Wikipediaの「久留米ラーメン」の項にも書かれている。再び『九州ラーメン物語』からの孫引きになってしまうが、同社に社史によれば、実際はこのような経緯だったそうだ。

 

「屋台ラーメンは、その名のとおり屋台で食べるラーメンのおいしさを、そのまま家庭の食卓に再現できないかと研究した末に生まれたものである。モデルになったのは、久留米のラーメン。かねてから久留米の丸星ラーメンのおいしさに目をつけていた当社は、明専務の指示によって、その分析にかかった。豚の骨を使い、白濁したスープのうまさをなんとかして再現できないか。実際に久留米まで食べに行っては、帰りにスープを持って帰り、分析する毎日が続いた。そして、ようやくその味をコピイすることに成功したのである。それはまさに完成された『九州の味』であった」

 

このエピソードからだけでも、丸星ラーメンが久留米だけでなく、九州のとんこつラーメンのひとつの「基準」になってる店だということがよくわかる。あまりにも昭和な佇まいとともに、これからも変わらない形で営業を続けてほしい店のひとつだ。

 

店内でもうひとつ見つけた貼り紙には、 「ご来店のお客様だけに店内の雰囲気を楽しんで頂きたいので撮影を禁止致します」 と、撮影禁止の理由にも触れられていた。ぼくも含むラーメン好きブロガーたちの素人写真では店内の雰囲気がうまく伝わらないという危惧があるのかもしれない。新横浜にある有名なラーメン博物館の、映画『Always 三丁目の夕日』(山崎貴監督/東宝/2005年)ばりの昭和な町並みにも負けないこのお店の貴重な雰囲気は、実際に訪れて味わってほしいということなのだろう。映画や再現セットではない、ここには本物の昭和の風景があるのだ。

 

ちなみに、東京タワー開業の年の下町の風景が描かれた『Always 三丁目の夕日』の舞台も、ラーメン博物館内地下の「ラーメンの街」のコンセプトも、そして上で触れたようにこのお店の創業もみな昭和33年! 東京タワーと西鉄ライオンズと“日本のラーメンの原風景”が交差するこの昭和33年に通じるノスタルジックな空気感は、やはり貴重だろう。

 

撮影禁止でラーメン自体の写真が載せられないのなら、とフト思いついて帰りにお土産用の生ラーメンを買ってみた。その時に3食分の生ラーメン・パックを入れてくれたのは、コンビニやスーパーのようなレジ袋ではなく、昔、駄菓子屋でお菓子を入れてくれたような色合いと材質の袋で、そんなところまで「昭和なのか!」と驚かされたりもした。

買ってきた生ラーメンのパッケージと、それを入れてくれた古風な袋。

買ってきた生ラーメンのパッケージと、それを入れてくれた古風な袋。

で、さっそく作ってみたのがこれ。ねぎだけは付属のスープに含まれている分量が少なく、絵的にもの足りなさそうだったのでスーパーで買ってきた乾燥ねぎを追加してある。長浜ラーメンとはちょっと違う太麺の感じが、この写真からでも伝わるだろうか? ちなみに、どんぶりは、昔、東京の有名店なんでんかんでんの社長さんからいただいたものを使用しております(笑)。

作ってみた生ラーメンです。店頭で食べるものよりスープに透明感があります。

作ってみた生ラーメンです。店頭で食べるものよりスープに透明感があります。

肝心な味の方だが、これが不思議なことに、麺こそ太いが、スープはマルタイの今度は棒ラーメンの方に近かったりするのだ。丸星ラーメンと屋台ラーメンとマルタイ棒ラーメンの謎の三角関係! まだまだ探求せねばならないことは多そうだ。

次回は、一蘭天神西通り店へ行きます。お楽しみに!

※情報は2014.10.28時点のものです

丸星ラーメン

住所福岡県久留米市高野2−7−27
TEL0942-33-6440

寺田 正典

1962年、長崎生まれ、福岡育ち。 1981年に大学進学のため上京するが、そこから福岡時代には当たり前に食べられていた 懐かしい味を求め、東京で「食べられる!」とんこつラーメン探しの日々を送る。 2012年に地元に戻って来てからは、今度は逆に大きく状況が変わってしまったことに戸惑いながらも理想のとんこつラーメンを求めて、なお徘徊中。 1997年~2012年8月まで音楽専門の月刊誌『レコード・コレクターズ』編集長。

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