生きているだけで、ええねん!~NAI・NAI起業のなまはげみきvol.40

♪NAI-NAI-NAIお金ない、NAI-NAI-NAI 場所もない、NAI-NAI-NAI でもとまらない~.

お金も人脈も知識もなく起業した太刀山美樹です。

 

夕日の沈む海辺で、カレの腕の中で抱かれながら、じっと目を見つめて、「ありがとう」と言いながら…

 

今までやりたいと思っていた好きな事を全部して、「もう大丈夫。楽しかった」と言いながら…

 

家族に見守られ、家のベッドで、ゆったりとした気持ちで…

 

知らない間に、いつのまにかそっと・・・

できることなら愛する人と沈む日を見つめていたい

沈む日を前に、あなたは誰とどんな思いで過ごしたいですか?

 ちょっと最初から「え?!」と思われるかもしれないのですが…

 

~「最期の時、あなたはどんな死に方がしたい?」を考える~

これは私が授業で、ナースの卵達に考えてもらうテーマのひとつです。

 

私は大学保育科の他に、看護学校講師もしています。
看護師は、人生の大きな地点にかかわる仕事だと思っています。責任ある仕事でやりがいも感じるけど、3Kともよばれるキツさ。それはカラダだけでなく、(特に終末医療にちかい分野に行く人にとり)つらい心の負担になる事もあると聞いています。

 

私自身、デーサービスでの仕事を担当していた時につらい気持ちになることがありました。子どもの指導と違い、よくて現状維持、実際には年数がすすむと、あんなお元気だった方が…。ご家族の気持ちを考えると…というときもありました。

齢を重ね、できていたことがだんだんできなくなる。自然なことだけど本人も周囲も辛いものです。

齢を重ね、できていたことがだんだんできなくなる。自然なことだけど本人も周囲も辛いものです。

そして私も…。父が最初の入院。一時よくなるものの、また再発して入院。

 

介護予防の仕事をすることあっても、家族の当事者となり、初めてわかる事もありました。父が転院したのは久留米医大。距離はすこし縮まっても、仕事をしながら毎日は行けず、そばに姉達がいてくれるのは本当にありがたいものでした。

 

時計の振り子のようにいい時期と悪い時期が繰り返し。

 

「みきが来るとやかましか~」と、笑いながら聞いていたのが、だんだん…私が話をしても、反応がすこしずつなくなってきた頃から、少しずつ覚悟はしていたものの、いざ連絡をもらった時はさすがに、車を運転する手が震えました。

今でもあのハンドルをもったときの感触を覚えています。

 

日頃は「来た球は打つ」の私、どんな仕事も受けていたのですが、厳しいかもの連絡を受けるたびにカバーしてくれていたスタッフには本当に感謝しています。

 

父が他界したのは、いい夫婦の日11月22日。

 

母の誕生日の2日後でした。

 

式の中で、いろんな方から父の仕事へのおもい。

一代でどうやって果樹園をつくっていたのか、 

今の自分にこんなにも影響をもらっていたんだなと確信しました。

父のバスケの写真。私も、姉も、そういえば娘と息子もバスケをしていました。子どものころ、みな家の前でパスをしてもらってました。

父のバスケの写真。私も、姉も、そういえば娘と息子もバスケをしていました。子どものころ、みな家の前でパスをしてもらってました。

ある仕事が、大きな病院でのナースの方への研修が、年のはじめに早くから決まっていました。

 

危ない状態となってしまい、正直にその時の事情をお伝えすると、病院側からは、

「私どもも、仕事上、事情はわかりますから、その時は延期しましょう。」
と言っていただき、スケジュールはそのままにしていました。

 

すると、結果、葬儀などがすべておわり。日程的にはちょうど職場復帰した私の初めての仕事が、この病院のナース向けのお仕事となりました。

 

こちらの病院は終末期の患者さんも多いところ。

関わるナースが病んではいけないと、ナースの為の心とカラダのケアという研修でした。気合を入れてとどうにか講座もおわりました。

 

その修了後、「地元の一番おいしいケーキを買っていますよ…」

婦長が優しく声をかけていただきました。

 

昨年も婦長の話をうかがっていました。
「私たちナースの仕事って、慣れないとやれない仕事だけど、慣れちゃいけない仕事でもあると思っているのよね。」

朝、いつも新しい太陽が昇るように。

朝、いつも新しい太陽が昇るように。

『慣れてはいけない』奥が深い言葉…。以前、公民館長からうかがったお話と一緒だ・・・と感じました。  

※コラムvol.18「子育てしながら働くあなたへ~時には甘えて愛人(?)に」⇒https://fanfunfukuoka.com/column/10626/

 

そして、またその年もお会いできたのでした。

「ところでお父様とはどんなお別れでした?」と聞かれ、私の様子を見た婦長が、ひとつひとつ言葉をゆっくりとこんな話を…

 

みき先生、人の死を私も随分みてきました。

いろんなことがあったんですよ。

中には、誰も一度も見舞いにいらっしゃらない患者さまのご家族もあってね…。

 

それどころか、危篤状態で家族に連絡しても

「全部すませてから、また連絡ください」

「そのまま献体にだしてください」

 

亡くなってやっと来られ、来るなり・・・

「貯金通帳どこ?あなた達(ナースに向かい)、触ってないでしょうね?」

 

カラダをふき最期の仕事をしようとしているところに

「この人が私をこうさせたんです!」と指差し、実の娘さんがいわれる事もあって…

 

いろんな方の場に立ち会わせていただいていて、つくづく思ったのだけど、

 

人の死は、人生の最後の1ページ。

生きてきた通りに、死んでいく。生きているうちにやれることはある。 

 

と思っているのね。

 

みき先生が、娘として、姉妹3人とお母さんと最期の場を一緒に看取ることができたのは、お父さんにとって、何より幸せだとおもうのよ。人によってはたとえその場にいる事ができなくても、お父さまに、気持ちが十分伝わっていると思いますよ。

 

心の中のなにかが流れ、帰りの車の中で、号泣。

すると少し気持ちが収まりました。他界したあとの1週間は泣くというより、受け止められず放心状態だったと思います。

雨が上がり虹が見えてきました。

やがて雨は上がり、虹が見えてきました。

その日ナースの心のケアにいったはずの私は、逆に心にろうそくの火を、ポッとあたたかく灯していただいき帰りました。

 

それから数年たち、今でも時に思い出しますが…先日

 

20歳になった私の息子が、私のお祝いだとビールを一緒に飲んでいて、ぽつりと言いました。

※コラムvol.36「中1英語でマサチューセッツ工科大学に挑戦?Vol.2」⇒https://fanfunfukuoka.com/column/16964/

 

「俺がもっとはやくに20歳になっていたらな…。おじいさんのお酒の相手をしながら、いろんな歴史とか仕事の話とか、もっと一緒に話せていたらよかったのにな…と時々思うんだよね。いっぱい学べただろうな。すごい知識やったもん。」

 

私はその言葉がなんだかうれしくて

「そう思ってくれるだけで、空の上から、『そうか!そう思っているか。ありがとう。話はいつでも聞いてやるぞ…』ときっと言っているよ」

 

でさ、学校いくのが面倒くさくなっていたら(一人暮らしの大学生活はグダグダ生活になっていたらしく…単位の危機の頃)

おじいさんが夢に出てきたっちゃん。川の向こうでお酒を飲んでいるのが見えて、『あ…!!』思わず会いにいこうとしたら、手で、シッシッとはらいのけられて、両手で握りこぶしつくって、ファイティングポーズして何か言っているっちゃん。俺に向かって、何回もファイティングポーズ。これって、気合い入れろって事かなと思った…。 

 

「そんな夢見たんだ…。生きているだけで、まだやれる事は山ほどあるって事かな…ありがとう。母までなんだか元気でてきた。」

 

息子の思いがけない言葉に、凹みかけていた私のこころが、す〜っと流れていきました。

 

 

家族の存在ってありがたい。

子どもから、親から、姉から、親戚からも。自分が今ここにいるのも…

そう思えた瞬間でした。

 

私は、ウルフルズの♪ええねんの曲を、最期の曲にリクセスとしています。 ♪何もなくてもええねん!もう一回やったらええねん!…

この「ええねん!」の部分を、できればを陽気にコーラスし、ぱ〜っと送り出してと頼んでいます。

 

人の死は、人生の最後の1ページ。
生きてきた通りに、死んでいく。
生きているだけで、やれることはある。

 

婦長の言葉を胸に過ごしていきたいと思います。

 

お父さん、みとってや!私達のこと

(あ、見なくていいところは見ないで、、、)

 

いつも実家の仏壇に、ぼそっと拝んで帰ります。

 

毎週、アホのように続けてきたコラムも、気づくと40回になりました。

自分でもビックリです。応援メッセージをいただくたびに、つき動かされるものがあり続けてこれました。本当にありがとうございます。 

 

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 【火曜サスペンスMIKI劇場は、毎週火曜日午後10時更新です】

※情報は2014.12.16時点のものです

なまはげみき 太刀山美樹

福岡県筑後市出身。23歳で結婚出産。地域のママサークルが口コミで広がり、その後「きみ、おもろいね」とNHK福岡や、学校講師に、街角でスカウトされ経験を積む。2006年MIKIファニットを起業。

「どうせ無理と諦めてる子いねえ~が!」

と喝をいれる<幼児教育界のなまはげ>としても活動中。

好きな言葉「来た球は打つ」

MIKIファニット  http://www.mikifunnit.com

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