コッテリ学ぶ博多ラーメン再入門☆「赤のれん」の巻

ここほど通った博多ラーメン店は他にないかもしれない
大学時代からずっと通って、通い過ぎて厭きてしまった時期もあるくらいだ(笑)。

 

というのも、ぼくが大学時代を送った80年代前半の東京にはちゃんとした博多ラーメンを出す店はほとんどなく、貴重なお店だった赤のれんの東京支店にすがるような思いで通っていたからだ。場所は六本木のちょっと外れ。西麻布の交差点に近いオシャレなところにあるが(住所的にも西麻布3丁目)、ディスコにもクラブにも目もくれず、ここのラーメンを食べるだけのために地下鉄六本木駅に降り立ったことが何度もある。

 

もちろん福岡にある赤のれんも言わずと知れた有名店。それだけではなく、厳密には長浜ラーメンとは発祥の異なる「博多ラーメン」の元祖とも言われる店だ。箱崎にあった本店を訪れたことはなかったが、博多大丸の地下、後に新天町の奥に、かつてあった天神店にも結構通った覚えがある。福岡空港などで買えるお土産の生ラーメンにも随分とお世話になった。

 

もともとぼくの頭の中には、長浜ラーメンと博多ラーメンを区別するなどという概念はなかったが、少なくとも赤のれんのラーメンは細平麺使用、その上にはきくらげではなくシナチクが載っていて、長浜系とは微妙に違う「ルックス」に独特な風格がある。スープも、旭川~札幌系のしょうゆ味にもやや近いコクのあるしょっぱさと脂分由来の甘さがうまくブレンドされた感じで、たとえば元祖長浜屋のやや軽めのしょっぱさとは趣きが違う。色的にも濃厚で、時に透明な脂分が分離して浮いてきたりもするが、しつこさのない上品な味といったらいいか、長浜系の野性味溢れるラフなフィーリングとは微妙に違う都会的な余裕があるのだ。ただ一点残念なのは、赤のれん独特の平細麺はどこか繊細で、この店では最硬のバリカタで頼んでもなかなか歯ごたえのある硬さは維持できず、たとえ呑んだ後の〆に寄ったのだとしても、替え玉を頼んでバリカタのバリカタらしさを味わわなくては気がすまなくなってしまう、という点であろうか(笑)。

元祖赤のれん 節ちゃんラーメンの「ラーメン並」

元祖赤のれん 節ちゃんラーメンの「ラーメン並」

同店の替え玉。タレがかかった形で提供される。麺の形もよくわかる

同店の替え玉。タレがかかった形で提供される。麺の形もおわかりだろうか?

長浜系との違いを手っとり早く体験したい向きには、箱崎にあるお店「赤のれん&とん吉」が出している「食べ比べラーメン」なる変わり種メニューにトライしてみるのもいいかもしれない。

食べ比べラーメン。左が赤のれん、右が長浜系のとん吉ラーメン。スープだけでなく麺も違う

食べ比べラーメン。左が赤のれん、右が長浜系のとん吉ラーメン。スープだけでなく麺も違う

例によって原達郎著『九州ラーメン物語』(九州ラーメン研究会/1998年)や、西麻布の店に掲げてある「由来」等によれば、もともと赤のれんは屋台の形でスタート。場所は中洲界隈だったようだ。創業者は津田茂氏。最初はうどんを出していたそうだが、すでに80軒も出ていた他の屋台との差別化のために、中国の奉天で食べた「十銭そば」を再現できないかと思い立つ。そんな時、肉屋の前に不要だからと放ってあった豚骨を見つけ、これを使えないか?と思って買ってきた上で独自に研究を重ね、白濁豚骨スープと細平麺の組合せのラーメンを作り出したのだという。タレには、津田氏の妻の故郷、小豆島の濃口醤油が使われた。晩年の津田氏に直接取材した原達郎氏によれば、白濁スープだった十銭そばの作り方を津田氏が中国人の料理人に訪ねた時に「北海道のアイヌ集落で食べ覚えたアイヌ料理だ」との返事が返ってきたのだそうだ。深すぎる! 赤のれんの創業とされる1946年(昭和21年)というのは、この形のラーメンを屋台で出し始めた年だと思われる。

 

赤のれんは後には箱崎に店をかまえることになるが(昭和61年に閉店)、ここにはとても書き切れないような紆余曲折を経て、現在は三代目が営む「元祖赤のれん 節ちゃんラーメン」天神本店が大名に(2013年11月に博多大丸の国体道路を隔てた向かい側から移転)。「赤のれん和(なごみ)亭」が住吉に、それに加えて、上でちょっと触れた「赤のれん&とん吉」が箱崎にという態勢。それぞれのお店の成立の事情にはそれなりに複雑なものもあるようなので、完全な系列店とは言えないかもしれない。「節ちゃんラーメン」の「節」は創業者の息子さんで二代目の節男さんの名前から来ているとのことだ。

 

一方、東京の西麻布の店は、現在の店主の先代、赤坂英晃氏がラーメン屋を開店するに際して九州の白濁スープのラーメンに将来性を感じ、九州の有名店を食べ歩いた末、赤のれんの味にほれ込み、押しかけて修行させてもらった後にのれん分けで東京に店を構えることがきたのだという。それが1978年のこと。東京では初めての博多とんこつラーメンの店となったのだという。

 

実はこちらの方にも、恐らく非公認の「福のれん」という系列店があり(「赤のれん」という名前は一店舗に限って使える、という約束だったから名前を替えたのだ、という説明をどこかで読んだことがある)、一時はかなりの店舗数が東京各地に展開していたのだが、今は店舗数もやや減少、店名も由○(よしまる)に変わっている。名前が「赤のれん」から遠ざかるに連れて味も変わっていった印象がある。

 

しかし今は、飯田橋に「赤のれん麺徳」(かつての「福のれん」が、ここだけ「赤のれん」に先祖返り。ただし東京の赤のれんの公式サイトhttp://www.akanoren.com/には掲載されていない)がある他に、東京駅近くの丸の内にある丸ビルの中にも「麺房 赤のれん」という系列店がある。

 

個人的にすごくお世話になったから言うわけではないが、東京の赤のれんも、創業者、津田茂氏直系というだけあって、品のある味わいはなかなかのもので、『かぶりつき! 全国380軒 ラーメン議定書』米塚功氏のように、東京の赤のれんの方に軍配を上げる向きもあるほどだ。

西麻布の赤のれんのラーメン。どんぶりのデザインも福岡のものと似ている

西麻布の赤のれんのラーメン。どんぶりのデザインも福岡のものと似ている

ついでに個人的に感じている東京赤のれんのアドヴァンテージを挙げておくと、サイド・メニューにある巾着のような形をしたカワイイ水餃子が実においしいのである。何とか福岡の赤のれんでも、こうした水餃子をメニューに加えていただけないか?というのが、ぼくの密かな願いだ。

 

東京赤のれんの話に深入りし過ぎてしまったが、さすがに博多はスゴいな、と思ったのは昨年のクリスマス・シーズンのこと。何とこの日、たまたま赤のれんに寄って、いつものように550円のラーメンに120円の替え玉を食べていたのだが、ふと周りを見回すとぼく以外のお客さんはみな男女のカップルだったのだ!クリスマスの時期に西麻布の赤のれんに行ってみたことはないが、いくら西麻布というオシャレな街にあるとはいえ、こんな状況は想像できそうもない。クリスマスのデートに博多ラーメン!というのは、とんこつの街、福岡ならではのコッテリと美しい光景ではないか!!

 

なお、『九州ラーメン物語』によると、箱崎の赤のれん&とん吉で、創業者から直接学んだ赤のれんの味を守っている宇野太一郎さんは、かつては博多大丸の地下にあった赤のれんの天神店の責任者だった方なのだそうだ。それを知ると、久しぶりにまた箱崎まで足を伸ばしたくなってきた!

 

次回は、のんき屋に行く予定です。

 

※過去の「とんこつの里」シリーズはこちら⇒https://fanfunfukuoka.com/tag/tonkotsu/

※情報は2015.3.30時点のものです

寺田 正典

1962年、長崎生まれ、福岡育ち。 1981年に大学進学のため上京するが、そこから福岡時代には当たり前に食べられていた 懐かしい味を求め、東京で「食べられる!」とんこつラーメン探しの日々を送る。 2012年に地元に戻って来てからは、今度は逆に大きく状況が変わってしまったことに戸惑いながらも理想のとんこつラーメンを求めて、なお徘徊中。 1997年~2012年8月まで音楽専門の月刊誌『レコード・コレクターズ』編集長。

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