日本人の英語力が伸びない理由は…?☆どくだみJAPAN

我が家のトイレには、右側の壁にひらがな五十音表、左側の壁にカタカナ五十音表、ドアを閉めるとそこにはローマ字表記表が貼ってある。週末、用を足しながらこれらの表をじーっと眺めていて、とあるアイディアが浮かんだ。

 

そもそも、カタカナは必要なのか、そしてローマ字表記は必要なのか。これらがあるからこそ、いつまでたっても日本人の英語力があがらないのではないかー。

 

子供用の五十音表なので、ひとつひとつにイラストが描いてある。ラ行では、ライオン、リボン、ルビー、レモン、ロケットが描かれている。実は、ライオンとレモンはL、つまり舌を上顎に接触させて発音するラ行であるが、リボンとルビーとロケットは、舌を上顎に接触させずに発音するラ行である。このふたつを差別化せずに「ラ行」として総括するカタカナ教育を受けて育った日本国民のほぼ全員が、海外に出ると発音に苦しむわけである。日本では英語はできたほうなのに、現地の人がわかってくれない・・・という悲劇が始まるのである。

よくよく考えると、カタカナにだけしか表現できない事象というものは存在しない。果たして、カタカナとひらがなという重複した表象記号を持つ必要はあるのだろうか。「マクドナルド」を「まくどなるど」と表記しても、「スターバックス」が「すたーばっくす」になっても、コミュニケーション上には何の問題もない。

 

外来語をカタカナで表記するのは、明治以降、欧米から大量に流入してくる言葉を区別するために導入されたわけだが、実は、ひらがなとカタカナの歴史は長い。様々な説があるが、いずれも平安時代に誕生している。しかも、いずれも漢字から派生している。

 

私は言語学者ではないので乱暴に総括すると、ひらがなもカタカナも、中国から漢字が伝播してきた際、古代の日本語に文字がなかったために漢文の訓読が必要となり、簡易な表記方法として生まれたようだ。当時の宗教関係の学僧たちが漢文理解のためにカタカナを多く使ったのに対し、貴族社会では、ひらがなが私的な場や女性によって多く用いられたなど、用途の主体や手法に違いこそあれ、いずれも、漢字の輸入に対する対応術であった。

となると、中国から入ってきた漢字を、日本流に解釈し日本流の漢字を定着させた今、ひらがなとカタカナは両方とも必要なのか。

 

さらに、ローマ字に至っては、戦国時代に来日したキリスト教の布教にあたったイエズス会が日本語を表記する際に生まれたものである。最初はポルトガル式ローマ字だったものが、江戸時代の鎖国時にはオランダが唯一の欧州への窓口となったため、オランダ式ローマ字に発展。その後、ヘボン式を経て、現在のローマ字に至る。つまり、アルファベットで日本語を解釈しようとした際に必要となった術である。

 

となると、英語がここまでグローバル言語となり、アルファベットでの表記が普通のこととなった今、LやTHが存在しないローマ字表記を一所懸命覚えるよりも、英語そのものを、英語そのものの発音で覚えることに時間を費やしたほうがいいのではないか。

 

無理に、世界に通用しないカタカナ英語を勉強するのではなく、英語は英語として、日本語は日本語として使うようにしてはどうか。たとえば、「私は林檎が好き」、あるいは、「私はAppleが好き」、というように。「りんご」や「リンゴ」、「アップル」・・・複雑すぎるよね?

 

そうやって考えると、ルー大柴のトークは、かなり前衛的だったと関心せざるを得ない。

※情報は2015.6.1時点のものです

モンキーディーバ

大学卒業後、大手広告代理店を経て渡英。ロンドンでは日本文化の専門家としてBBCラジオに出演。ディレッタントとしてロイヤルアルバートホールで歌った経験も。現在は、英国人の夫とふたりの子供、生まれたてのボーダーコリーと糸島でスローライフ満喫中。

この記事もおすすめ