【連載小説「博多座日和」】第三話・「博多座記念日」~飾り山に重なる父の大きな背中

「今度の父の日のプレゼント、どうする?」
ダイニングテーブルで食後のコーヒーを飲みながら朝刊に目を通していた中井修一は、カウンターキッチンの中で洗い物をしていた妻・夏子の言葉に、「ああ」と「うん」のちょうど中間のような曖昧な言葉を返した。

 

福岡市職員の修一は、入庁二十年目の四十二歳。市内に七つある区役所の一つで、国民健康保険と乳幼児などに対する医療費助成を担当する部署の係長をしている。
修一は、営業マンだった父と主婦の母との間に一人息子として生まれ育った。
父・安夫は「モーレツ社員」を絵にかいたような仕事一徹の人間で、休日も含めほとんど家におらず、必定、家では母親と過ごす時間が大半を占めた。
五年前に会社を退職した安夫は、社会人になってから半世紀以上暮らしてきた福岡を離れ、修一の祖父母の死後、廃屋同然になっていた糸島の生家に転居し、現在は庭の畑で野菜などを栽培しながら悠々自適な年金生活を送っている。

福岡県糸島市の桜井二見ヶ浦

福岡県糸島市の桜井二見ヶ浦

妻の夏子が続ける。
「お義父さん、富田百合子が好きだったわよね。昨日ニュースを見ていたら、来月博多座のお芝居に主演で出るらしいわよ。身に着けるものや食べるものには困ってらっしゃらないでしょうし、今年は博多座のチケットを贈って差し上げたらどうかしら?」
父親の好きな女優など知りもしなかったし、興味もなかった。
修一は、「いいんじゃないの」と丸めたちり紙を屑箱に放り投げるように言い、新聞をバサッと畳んで、椅子から腰を上げた。

 

それから十日ほど経ったある日、修一の携帯電話が鳴った。母・絹代からだった。
「この前送ってもらった七月六日の博多座のチケットだけど、その日ちょうど自治会の会合なのよ。お母さん、自治会の役員してて、どうしてもそれに出ないといけなくて。そっちで誰か、お父さんと一緒に行ってくれない?」
カレンダーを見ると七月六日は土曜日。百貨店に勤務する夏子は出勤日にあたっている。長男の太朗は山口の大学に進学して家を出ており、次男の光伸も高校のサッカー部に所属しており土日は朝から練習や試合に出かけるため、あてにはできない。
母の代役は修一が務めるほかなかった。

 

観劇当日、久しぶりに川端界隈を訪れる修一は、博多座へ向かう前に、博多の総鎮守・櫛田神社に足を運んだ。

櫛田神社

櫛田神社

境内にある銀杏の緑がきらきらと輝いており、社殿に近づくと木(もく)の清々しい香りが漂っていた。
櫛田神社から博多座までは、歩いて七、八分の距離である。
修一は、かつての門前通り・上川端商店街をぶらぶらと下っていった。

 

博多の七月は山笠の季節だ。
博多祇園山笠はおよそ八百年の歴史を持ち、七月一日から十五日までの期間中、市内各所に飾り山が立ち並ぶ。
川端商店街にも、そのアーケードの天井に届かんとするほど巨大な飾り山がお目見えし、見物客でごった返している。


その人ごみの中で、「係長!」という可憐な声が聞こえた。
振り返ると、部下の本田恭子だった。その後ろに同じく部下の桝見哲が、まるでトイレを我慢している四歳児のようにもぞもぞしながら立っている。
「山笠ってやっぱりいいですよね。この前係長からチケットをいただいて桝見君と博多座に行ったとき、ちょうど博多祇園山笠のパンフレットが置いてあって、こんど一緒に見に行こうって約束してたんです」と恭子はあけすけに話した。
哲は、恭子と二人でいるところを見られたのが相当恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして、指揮者がタクトを振るように、恭子の言葉に合わせて懸命に頭を上下に振っていた。

 

二人と別れ、修一が約束の五分前に博多座エントランスロビーの奥にあるカフェに着くと、すでに父・安夫は到着しており、悠然とコーヒーを飲んでいた。
ベージュの麻のジャケットにネイビーブルーのパンツ。銀髪を七三に分け、足を組んで椅子に腰掛けている様は、まさにクラシックスタイルの博多座の建物の一部と言ってよいほど、その場の雰囲気に溶け込んでいた。
その日の安夫は極めて上機嫌だった。
幕間の休憩時間には、博多座の中にある食堂で季節の膳を前に、その日の舞台、そして劇場・博多座の魅力を存分に語った。

修一は四十二年の人生の中で初めて父親の肉声を聞いたかのような感覚に陥り、穏やかな表情を浮かべながら舞台を楽しんでいる安夫とは対照的に、何となく落ち着かない気分のまま終演を迎えた。

 

「ちょっと中洲に寄っていこうか」
博多座前の交差点を渡りながら安夫から出た言葉に、修一は半ば戸惑いながら相鎚を打った。
二人で中洲に来るのはこれが初めてだった。
歩行者や自転車を軽快にかわしながら進んでいく安夫の後を、修一は速足で追った。
明治通りから中洲大通りに入り、中洲交番の次の交差点を左に曲がってすぐのビルの五階。金色のプレートが埋め込まれた木製のドアを開く。
二十坪ほどの店内には、カウンター席の他に、ボックス席が五つほど設けられており、すでにそのうちの二つが埋まっていた。
この店のママであろう、小津安二郎の映画に出てくる女優のようなしっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせた和服姿の女性に案内されて、二人はカウンターの止まり木に腰を落ち着けた。

 

たわいない世間話をしながらウイスキーの水割りをすすっているうちに、ざわついた話声と共にドアが開き、新たな客が入ってきた。
先頭で入ってきた恰幅の良い紳士が、安夫の姿を見るなり奇声を上げ、まるで大型犬が飼い主にむしゃぶりつくように安夫を羽交い絞めにする。他のメンバーも満面の笑みで寄ってきて、そのまま引きずるようにして安夫を奥のボックス席に連れて去って行った。

今までほとんど聞き役に徹していたママが、一人残された修一に語りかける。
「あなたのお父さんと最初にお会いしてからもう三十年以上経つけど、現役時代は本当に立派な企業人だったわ。取引先との接待が終わった後、その時間まで会社で残業していた部下をここに呼んで、店屋物をとってあげたり、仕事の悩みを聞いてあげたり。それに、自分が卸した機械の調子が悪いと聞くと、技術屋さんを連れて休日返上で九州各地の取引先に飛んでいってたみたい。いま入ってきたのはお父さんがいた会社の会長さんと昔の同僚の方たち。あの反応見た?大の大人があれだけ惚れこむんだから、よっぽどのもんよね」
修一が驚きで言葉を出せないでいると、ママが続けた。
「それにね。あなたのお父さんは、うちに来るといつもあなたの自慢話をしてたわ。毎日、どんなに遅く帰っても、お母さんに、あなたのその日の様子を事細かに聞いていたみたいよ。お母さん、あなたが家に帰ってきたら、学校であったことをいろいろと聞きたがらなかった?」

 

それからしばらくママと話を交わしたが、その内容は全く頭の中に入ってこなかった。
かつての仕事仲間たちと昔話で盛り上がる安夫を置いて、修一は一人店を出た。
ちょっと歩いて酔いを醒まそうと、東の方角へ足を向けた。博多川を渡ると、昼間通った川端商店街が見えてくる。
昼間はあんなに賑やかだったアーケード街も、夜の十時ともなるとほとんど人気がなく、通りの中央には眠っている象のように飾り山がひっそりと佇んでいる。
修一は並べてあるパイプ椅子の一つに腰を下ろし、そして目の前にそびえ立つ飾り山を見上げ、つぶやいた。
「でっかいなあ…」
泣き笑いの顔になった修一の瞼の奥に、飾り山と重なるように、中洲大通りを意気揚々と進んでいく父の背中が浮かんだ。
世間一般では、かつて大ベストセラーとなった歌集にちなんで「サラダ記念日」と称される七月六日。
修一にとっては、父と二人で過ごした、かけがえのない「博多座記念日」として、その記憶に刻まれることとなった。

※この物語はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。  

※本文章について、「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。

 

※情報は2015.7.24時点のものです

博多座

住所福岡市博多区下川端町2−1
URLhttp://www.hakataza.co.jp/

大きい地図で見る

AKASAKA BOY

謎のライター

1978年福岡市赤坂生まれ。福岡の街の魅力を小説形式で発信中☆

関連タグ

この記事もおすすめ