【連載小説「博多座日和」】第四話・「真実」~息子の秘めた思い

赤や緑やオレンジの色とりどりの大輪の花が目の前に現れては消え、現れては消え。そして胸の奥を震わせるような炸裂音が辺り一面に広がる。
福岡の夏に欠かせないイベントといえば、何といっても毎年八月一日に開催される大濠公園の花火大会だ。

西日本大濠花火大会

西日本大濠花火大会

私の指定席は毎年ここ。住み慣れた公団住宅の屋上にぽつんと置かれた木製ベンチと決まっている。

 

あれは、一人息子の哲(サトシ)が二歳になったばかりの八月一日の夜だった。
夫の知り合いが場所取りをしてくれ、家族ぐるみで大濠の花火を観ることになった。
大濠公園の池の淵最前列に陣取り、第一発目の花火が上がったその瞬間、私の膝の上でうたた寝をしていた哲は、あまりの音の大きさに恐れおののき、花火を吹き飛ばす勢いで泣き声を上げた。


外に出ようにも振り返れば十重二十重(とえはたえ)の人垣。針の筵(むしろ)に座るような気持ちで、大泣きの哲を抱えて一時間あまり、じっと縞模様のレジャーシートの上に座っていたのを昨日のことのように思い出す。
そのときなすすべもなく、不機嫌そうな顔をして隣に座っていた夫。
その夫は、もはや私にとって過去の人である。

 

夫とは友人の紹介で知り合い、付き合って一年ほどで結婚。
地元の大手不動産会社に勤めていた夫は、結婚して三年が経つ頃、独立して小さな会社を起こした。そして時を同じくして、私は哲を身ごもった。
ビルの一室を借りて始めた小さな会社ではあったが、折からの地価の高騰とマンション建設ラッシュの追い風を受け、順調に売り上げを伸ばしていった。
しかしその順風満帆な日々は長くは続かなかった。
バブル経済の崩壊と土地神話の終焉。夫が起こした小舟のような会社は瞬く間に時代の大波に押し流され、命からがら岸へと辿り着いた夫の手中に残されたのは、夢でも希望でもなく、残酷なまでに多額な借入金証書の束だった。

会社を失って半年が過ぎた頃、金策と仕事探しでほとんど家を空けていた夫が珍しく家にいたある日、私は夫と哲を家に残し、近所のスーパーに買い物に出た。
買い物から帰ると、出がけに閉めたはずの玄関の扉が開いていた。
不穏な雰囲気を感じながらリビングに入ると、そこには音のない冷たい世界が広がっていた。
その原因はすぐに分かった。
テーブルの中央に置かれた白地に緑色の枠と文字が入った一枚の紙。生まれて初めて見る「離婚届」だった。
その紙には夫の几帳面な文字で一方の当事者が埋めるべき事項が漏れなく記入されており、辺りを見回しても、それ以外に書き置きらしきものはなかった。
そのとき、リビングの隣にある和室から「カチャカチャ」という音が聞こえた。我に返り、慌てて和室につながる襖を開けると、そこには戦隊もののロボットのパーツを熱心に組み立てる哲の姿があった。

「これ父ちゃんが買ってくれたとよ」
完成したロボットを両手で頭上に掲げ無邪気に笑う哲を見ながら、私は腰が砕けたように畳の上にへたり込んだ。


「おばちゃん!」
花火と反対の方向から突然声をかけられ、私は思わずびくっと身をすくめた。
振り返ると、同じ棟に住む、哲と幼馴染みの明美がそこにいた。
哲と同い年の明美は美容学校を出て、今は西新の美容室に見習いとして勤めている。
「やっぱ、ここが特等席やね。今日は哲は?」
「仕事帰りに同僚の人たちと観に行くって。平和台の方から見るみたいよ」
「ふーん。哲ももう一人前の社会人やもんね」
「おかげさまで。明美ちゃんも仕事慣れた?」
「まだまだやね。失敗ばーっかり。」
そういって舌を出した明美が続けた。
「そういえば、おばちゃん次の日曜、何か予定入っとう?お休みもらって博多座にミュージカル観に行くんだけど、一緒に行くはずだった友達が来られなくなっちゃって。」
「あら、いまのところ予定はないけど。それより、博多座のチケット、高かったんじゃない?」
「たまたま市政だよりを見てたら半額観劇会の募集記事を見つけたとよ。前から見たいと思ってたミュージカルだったから応募してみたら、運よく抽選に当たったんよ。」
そういう経緯(いきさつ)で、私の二度目の博多座観劇が実現したのだった。

観劇当日、博多座の正面にかかる大提灯をぼんやり眺めながら明美を待っていると、そこに通りがかった恰幅の良い一人の男性から「こんにちは」と声を掛けられた。

きっちりと分けられた髪。ダブルのスーツ。以前どこかでお会いしたかしらと思いを巡らせたその瞬間、立て板に水とはこのことで、気風のいい言葉がその紳士の口から流れ出てきた。
「洋風建築に和の提灯。普通に考えるとちぐはぐな取り合わせですが、これがまた妙に合うんです。これはね、クラシック様式という建築様式とこうした提灯が生まれた時代が同じだからなんですよ。生まれた場所は違えど、時代が同じであれば合うんです。いまでいうコラボレーションというやつですな。」
明快で歯切れのよい説明に思わず聞き入っていると、紳士が続けた。
「それにね、このマークを御覧なさい。博多祇園山笠ゆかりの掻き縄を使って縁起物の松を描き、結び目を作って末広がりで締める。劇場『博多座』のシンボルとしてこれ以上ないデザインじゃありませんか!」
博多座のシンボルマークにはなんとなく見覚えがあったが、そういう意味が隠されていたとは…。

ロビーの照明にも博多座のシンボルマークが…

ロビーの照明にも博多座のシンボルマークが…

私が感心のあまり「お詳しいですね。博多座の方ですか?」と訊ねると、紳士は両方の掌をこちらに向け、見得を切るような仕草でこう言った。
「名乗るほどのもんじゃあござぁせん。通りすがりの野暮な小屋者とでも申しましょうか。それではよい休日を!」

涼しげな笑顔を残して紳士は博多座ビルの東側の角を曲がって路地の奥へと消えていった。
ほどなく明美が到着し、私たちは件(くだん)の大提灯の下を通って、博多座のエントランスへ向かった。

 

観劇後、博多座近くのカフェでお茶をして帰ることにした。
私はホットコーヒー、明美はアイスレモンティーを注文し、ひとしきり芝居談義に花が咲いた後、思い出したように明美が口を開いた。
「この前、たまたま帰りのバスで哲と一緒になってね、そのとき、哲がどうして公務員になったのか、って話になったとよ。哲、はじめは照れ臭そうにしてたんだけど、そのうちぽつりぽつりと話してくれるようになってね。こんなこと言ったんよ」

 

―――俺、小さい頃から父さんおらんかったやろ。でも周りのみんなが優しくしてくれて、守ってくれて、危ないことしたら叱ってくれて。本当に父さんの代わりになってくれたとよ。それに俺、福岡の街をほんと好いとうし。今までお世話になった人たちとか福岡の街に恩返しできればなあって。それで福岡市役所に勤めようって思ったとよ。―――

 

そのときの私は、まるで狐につままれたような表情をしていたことだろう。言い終わった後、明美はしてやったりといった表情で満足げな笑みを浮かべていた。
哲からプレゼントされた前回の博多座観劇の際、友人からかけられた言葉を思い出す。

 

―――あんたの育て方は間違っとらんかったんよ―――

あんなに幼かった息子もいつの間にか立派な大人にー。

 こぼれ落ちそうになる涙を明美に見られないようにして私は勢いよく席を立った。

「帰って晩ご飯の支度をしなきゃ!うちの大食漢がお腹を空かせて待っとうけんね。」
今日の晩ご飯は哲が一番好きな鰯(いわし)フライに決まりだ。
私は背負っていた重荷が一つとれたような心持ちになって、地下鉄中洲川端駅へと続く階段を
弾むような足取りで下っていった。

 

※この物語はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。 

※本文章について、「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。

 

※情報は2015.7.24時点のものです

博多座

住所福岡市博多区下川端町2−1
URLhttp://www.hakataza.co.jp/

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AKASAKA BOY

謎のライター

1978年福岡市赤坂生まれ。福岡の街の魅力を小説形式で発信中☆

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