【連載小説「博多座日和」】第五話・「ジャガイモ」~傷心を癒す屋台の温もり

「待った?」

涼しげな笑顔とともに恭子の恋人・松坂が待ち合わせの場所、博多座エントランスロビーに現れた。

引き締まった上半身にすらりと伸びた長い脚、澄んだ瞳に薄い唇、鼻筋の通った端正な顔立ち。「水のしたたるいい男」とは彼のためにある言葉ではないか。恭子は高鳴る鼓動を悟られないようにして、そっと松坂の腕に自分の腕を絡めた。

入場口で観劇券の半券を切ってもらい、ロビーへと続くエスカレーターへと歩を進める。


一台目のエスカレーターを降りたところで松坂が足を止め、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、恭子に問いかける。

「さて、質問です。博多座にあるこのエスカレーター。普通のエスカレーターと違うところが二つあります。さてどこでしょう?」

恭子は目の前のエスカレーターをまじまじと見た。色にしても形にしても何の変哲もない普通のエスカレーターだ。

「うーん。どうみても普通のエスカレーターにしか見えないんだけど…」

あっさりと降参した恭子の困ったような表情を見て、松坂は人差し指を立て、諭すような口調で言った。

「まず、一つ目。このエスカレーターが動くスピードを注意して見て」

「あっ、そう言われてみると、普通より速い気がする」

恭子の反応に松坂は満足げな表情を浮かべて口を開いた。

「そのとおり。一般のエスカレーターに比べてほんの少しだけスピードが速くなっているんだ。博多座の建物に入ってきたお客さんの大半は、一刻も早くロビーや客席のある上階に向かおうと、知らないうちに速足になるらしい。エスカレーターを歩いて上ろうとしたお客さんが、もし転倒して怪我でもしたら、せっかくの一日が台無しになるよね。そういうわけで、お客さんに気づかれない程度にエスカレーターのスピードを上げているとういわけ」

そして、松坂は人差し指と中指を立てて続けた。

「そして二つ目。このエスカレーターには製造元の表記がどこにもないだろう」

「ほんとだ」恭子は素直に頷いた。

「ある会社がお得意様を観劇にご招待する場合、入場して一番先に目につくエスカレーターに同業他社の社名が入っていたら、その会社の担当者はいい気持ちはしないよね。この博多座という劇場は、顧客第一の視点に立って、そういう細かいところまで配慮して設計されているんだよ」

さすが松坂は小学生の頃から博多座に通っているだけある。恭子は松坂の博識に触れ、憧れと感嘆の入り混じったため息をついた。

ロビーに入った二人は、重厚感あふれる馬蹄型の大階段を中心に、時計回りにフロアを歩いてゆく。


レストランや弁当を売る出店の店頭を眺め、幕間の食事を相談する。そしてお菓子や総菜などの食品類や小物雑貨などの土産物を売る店、公演に関するパンフレットやグッズを売る店を順に見ていった。

ロビーを一回りしたところで、二人は客席内に入り座席に腰を落ち着けた。

早めに席に着いたので、周囲に恭子と松坂以外の客はまだいない。

恭子は眼をつむり、隣に座る松坂の手の上に自分の掌を乗せた。

上等な絹のスカーフのようにきめが細かく、すべすべした松坂の手…のはずが、恭子の掌に伝わったのは、まるでジャガイモのようなざらざら、ごつごつとした感触だった。

恭子はハッとして、隣を見やった。

よく日に焼けた丸顔に大きな目鼻、太い眉。同じ職場の後輩・桝見哲の顔がそこにあった。

「キャーーーー!」

恭子は自分の悲鳴で目を覚ました。そこは自宅のベッドの上だった。


恭子の母・礼子から電話があったのは十日ほど前、博多の秋の風物詩・筥崎宮の放生会見物に職場の同僚と出かけていたときだった。

「なんか、にぎやかなとこに居(お)るごたあね。盆に帰ってきたときに言(ゆ)っとったけど、今月二十五日に婦人会の芝居見物で博多に行くけんね。みんなは日帰りやけど、母ちゃんはいつもんごと恭子の家に一泊させてもらうけん、四時に博多座に迎えに来てくれんね。あとね、その日の夜は屋台に連れて行ってくれんね。前からいっぺん行ってみたいと思っとったんよ」

提供:福岡市

提供:福岡市

恭子の両親は島原半島の愛野という町でジャガイモ農家を営んでいる。

毎年この時期になると地元の婦人会主催で日帰りの博多座観劇ツアーが開催され、恭子の母親だけはその日に帰らずに恭子のアパートへ一泊することが慣例となっていた。

今日はその博多座観劇ツアーの日。早起きして部屋を掃除したり、母親の布団を干したりしているうちに昼になり、昼食後にちょっとベッドに横になったところでうたた寝をしてしまったのだった。

 

数か月前に別れを告げられた松坂の夢を見てしまい、寝起きが悪いまま、壁にかかった時計にふと目をやると、母親との待ち合わせ時間まであと三十分しかない。

「あっ、いけない」

恭子はテーブルの上にあった財布とスマートフォンをバッグに投げ込むと慌てて部屋を飛び出した。

 

九州一地の繁華街・天神を南北に貫く渡辺通りに立ち並ぶ屋台。そのうちの一軒に恭子は母親と並んで座っていた。

恭子の上司・中井が二十年近く通っているというこの屋台は大将と女将、そして若き二代目が切り盛りする家庭的な雰囲気が売りの店で、恭子も中井に連れられてたまにその暖簾をくぐる。

裸電球の暖かな光が満ちあふれる店内。コの字型のカウンター。ガラスケースの中には板氷が敷かれ、その上に焼き鳥や焼き魚のネタが整然と並べられている。その横のおでん鍋からは美味しそうな湯気が立ち上り、カウンターと反対側の壁側にはラーメンのスープと麺を茹でる湯が入った寸胴鍋が並んでいる。

「なんもかんもが美味しか。それに、この店は初めてのごたあ気がせんね。親戚の家でご飯を呼ばれよる感じばい」

餃子を口に運びながら母親が女将さんに話しかける。

「そういっていただけるとありがたいです。うちの店は特に珍しいものは置いてませんけど、全部手作りですから。それにうちは常連さんが多くて、皆さんがこの雰囲気をつくってくれているんですよ」

女将さんが柔らかな笑顔で応えた。

そこに年の頃四十前後の丸刈りの男性が「おう!」と威勢よく入ってきて、母親の隣に勢いよく腰を下ろした。

提供:福岡市

提供:福岡市

この屋台の常連。赤坂で両親と一緒に寿司屋を営む、通称「若旦那」だ。

この若旦那、福岡市内の高校を卒業した後、寿司職人の修行のため、七年間を東京で過ごした。聞くところによると、その修行中に演劇にはまってしまい、休みのたびに劇場通い。さらには、初日と千秋楽を見とかないと芝居好きのお客さんと話を合わせられない、とか何とか言って平日に仕事をさぼって劇場に足を運ぶ始末。屋台の常連からはいつも「あんた何しに東京に行ったとね」とからかわれている。

それでも憎めないところがこの若旦那の人柄なのだろう。

「若旦那」とは表の通称。この屋台で噂話をされるときは愛情を込めて「バカ旦那」と呼ばれているのを恭子は知っている。

芝居好きなだけでなく、お酒好きで話し好きのこの若旦那。まだ八時を過ぎたばかりだというのにこの店に来ているということは、今日もお店をほったらかして出てきたらしい。

隣同士に座った母親と若旦那は博多座の話題ですぐに意気投合。ところが、しばらくすると話題はがらっと変わって、恭子の恋愛へと移っていた。

「なんか、えらい男前の彼氏がおるようなことば、言いよらんかったね?」

母親が遠慮のない声で訊いてくる。渡辺通りを通る車の音までが消え、屋台の中にいる全ての人の耳が恭子に向いているような雰囲気が屋台の中に流れた。

「うん、でも最近別れたとよ。いろいろあってね」

恭子はたんぽぽの綿毛を吹くようにそっけなく言った。

屋台の中の気まずい空気を吹き払うように、若旦那が間に入った。

「恭子ちゃん、男は中身ばい! ねっ、お母さん。ほら、こいつも見てくれは悪いばってん、いい味出しとうばい。こげな男を見つけてこな!」

若旦那が指した箸の先には、よく出汁が滲みたおでんのジャガイモが丸のまま皿の中に転がっていた。

今度はジャガイモの話題で盛り上がっている母親と若旦那を横目に、今日夢の中で触れた桝見哲のジャガイモのような手の感触を思い出しながら、恭子は自分の掌をそっとなでた。

 

※この物語はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。 

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※情報は2015.9.1時点のものです

AKASAKA BOY

謎のライター

1978年福岡市赤坂生まれ。福岡の街の魅力を小説形式で発信中☆

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