【矢動丸純子】被災地の支援活動 万人の満足は難しくても 信じたことを一歩ずつ

福岡に戻った2011年秋、「この間の地震」の話になると、会話がかみ合わないことが度々ありました。それもそのはず。私はその半年前、東京で体験した東日本大震災の話をしていたのですが、相手は05年の福岡沖地震の話をしているのです。当時私は米国にいたため、地震があったこと自体を知りませんでした。

 

東京にある認定NPO法人「JKSK女性の活力を社会の活力に」(旧女子教育奨励会)を通じ、東日本大震災の被災地支援活動をサポートしていた私は、福岡でも東北のために何かできないかと思っていましたが、越したばかりで何をどう進めていいか分からず、1年ほどたってから信頼できる方に相談しました。

 

「福岡には福岡の災害があり、東京や他の地域の人はそのことも知らない」。彼女のその言葉が胸に突き刺さりました。その通りです。当時は、12年夏に起きた九州北部豪雨で被災した八女地域の復興もままならぬころ。私は、福岡の方々の事情を知らず、どうして理解してもらえないのか、と悩んでいたのです。

 

現在、私の主な交流先は福島。福島から移住してきた方と出会い、支援している方々とご縁ができ、現地を訪問し、小さな勉強会を開催し、人をお呼びしたり、交流会を開催したり、とほそぼそと活動を続けています。次は仲間たちと福島を訪問する予定です。

 

現地で頑張っている人、避難して来ている人、思いをはせる人。みな、考え方も方向性も違います。全ての人が満足することは難しいでしょう。でもそれぞれが正しいと思ったことを一歩一歩考えながら進んで行けば、新しい日本の姿が見えてくると思います。

from西日本新聞「わたし活性化計画」面

【矢動丸さんのコラム】

今つらくてもこの世の終わりじゃない 出口はきっと見つかる

セクハラ我慢しないで 笑顔で場を繕わず 嫌われても意思表示を

女性の力で日本再生 世界の第一線で活躍した大先輩の声を届けたい

恵みあふれる地 筑後 文化や歴史 再発見しつついつか恩返しを

 

※情報は2015.8.8時点のものです

矢動丸純子

東京にて現代美術のマネジメントや展覧会業務を経て、米ニューヨークに移住。東日本大震災後、二十数年ぶりに九州に戻る。福岡や筑後エリアで男女共同参画と被災者支援をテーマにイベントやプロジェクトを進行中。

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