【連載小説「博多座日和」】第七話(完)「再会」~交わる思いと希望の光

博多の街に秋の気配が濃く漂い始めた十月のある日の晩、私は台所の脇に置いた食卓に腰掛け、図書館で借りてきた時代小説の表紙を開いた。

一人息子の哲からは、夕方の早い時間に、職場の人と飲みに行くので夕食不要との連絡があり、一人分の食事をわざわざ作るのもおっくうで、冷蔵庫に入っていた残り物で夕食を済ませたところだった。

日が沈むと次第に風が強まり、ぴゅうぴゅうと窓の隙間から風が吹き込む音や、からからと外で空き缶が転がる音が耳につき、なんとなく落ち着かない気分のまま、ページをめくり活字を追っていた。

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秋夜の櫛田神社(提供:福岡市)

三分の一ほど読み進んだところで、帰り道に蜜柑を買ってきたことを思い出した。博多座四月公演の観劇券を読みかけのページに挟んで席を立つ。

哲が初任給で買ってくれた博多座の観劇券。捨ててしまうのも忍びなく、いまもこうして栞(しおり)として使っている。

哲と二人きりの生活ももうじき二十年になろうとしている。

子育ての最中は、つらいことや苦しいことの連続だったように思うが、哲が社会人となったいま振り返ってみると、意外とあっという間だったような気がする。

黄色と緑の斑模様の早生(わせ)蜜柑を果物かごに盛って居間に戻ろうとしたとき、かちゃかちゃと玄関の鍵を開ける音が聞こえた。

「あら、意外と早かったのね。おかえり」

玄関の方を振り向くと、哲が真っ赤な顔をして息を切らせて立っている。

「どうしたの?」

私が聞くやいなや、哲が震える声で言った。

「とっ…父ちゃん、生きとるごたぁ…福岡におるごたぁ…父ちゃんに会ったって人が…」

果物かごが手から滑り落ち、鈍い音を立てて蜜柑が床に転がった。

「そう。あとでゆっくり話聞くけん、早くお風呂入ってき。」

私はそう言って哲を風呂場へ促し、床に落ちた蜜柑を一つ一つ拾っていった。平静を装ってはいたが、自分でも怖くなるような早さで心臓が脈を打っているのがわかった。

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博多ライトアップウォーク・承天寺(提供:福岡市)

それから半月ほどたったある週末の昼下がり、私は哲に案内されて地下鉄赤坂駅近くの寿司屋の暖簾をくぐった。

私たちが訪れた時間帯は、そのお店の休憩時間にあたっているらしく、ネタケースには白い布巾がかけられ、店内には四十がらみの職人が一人カウンターの内側にいるだけだった。

哲の話によると、彼がこの店の二代目・通称「若旦那」。二十年前に私と哲との前から文字通り蒸発した元夫と偶然にも出会い、哲にそのことを知らせた人物であった。

事情を知った若旦那は、私たちを引き合わせるため、今日のこの機会をセッティングしてくれたのだった。

二十年ぶりの再会。「あの人」と向き合ったとき自分がどんな態度をとるのか、全く見当もつかなかった。

長年の鬱憤を晴らすかのように罵詈雑言を浴びせかけるだろうか、それとも冷たい視線を投げかけ無言のまま席を立つだろうか。数千ピースのパズルの前に途方に暮れる幼児のように、思考を停止させたまま、ぼんやりとその時を待った。

そして私たちが店に入って十五分ほど経った頃、若大将が「ちょっと買い物に行ってくるから」という言葉を残して裏口から出て行った。

 

裏口の扉が閉まる音がしたのと同時に、雷のような音を立てて、表の引き戸が開いた。

外光が店内に差し込み、続いて人影が店内に入ってくるのが見えた。

私はその顔に目をやった。太い眉に丸い目鼻、への字に結んだ口。紛れもなく、二十年前に私と哲の前から姿を消した元夫の顔だった。そして思わず口からこぼれ落ちた言葉。

「あなた…」

気づくと私の目から涙がとめどなく流れ落ちていた。

再会の瞬間、私の心の底に宿ったのは、怒りでも憎しみでもなく、一抹の安堵感であった。

言葉が出ない私の代わりに、しばらく哲が「あの人」と話を交わしていた。

父親と息子が交わす二十年ぶりの会話。そんな風には全く感じられないほど自然なやりとりを私は不思議な思いで聞いていた。

「今日はこれで…」

そう言って席を立った「あの人」は、最後に何か言いたいけれど言葉が出ない…そんな表情をして、震えるような眼差しで私の目をじっと見つめた。そして最後に深く頭を垂れた。

私は返事をする代わりに、首を小さく縦に振った。

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舞鶴公園(提供:福岡市)

それから何度か「あの人」と哲は連絡を取り合って、外で会っていたようだった。

再会の日から一月ほど経ったある日の朝、出勤する哲を見送った後、私は食卓の上に赤茶色の封筒が置いてあるのを見つけた。

手に取って見ると、その封筒は博多座のマークが印字されたチケットフォルダーで、中を開けると、博多座の観劇券が一枚入っていた。

そして封筒の宛名欄には、私の名前が見覚えのある几帳面な字で書かれていた。


私はいま、博多座前の大提灯の下に立って「あの人」を待っている。

一人息子の哲はといえば、日頃は出勤時間ぎりぎりまで寝ているくせに、今朝はやけに早く起きて一時間以上かけて身支度をしてどこかへ出かけて行った。

最近の哲は、夕食を食べ終えるとすぐに自室に閉じこもり、毎晩のように誰かと長電話している。

母親としての私の内面には、早く結婚相手となる人を見つけてほしいという一方で、少しでも長く一緒に暮らしたいという、相反する思いが混在しているというのが正直なところだ。

私と「あの人」との関係もこれから先どうなっていくのか、全く想像もつかない。

ただ、いったん切れた糸が、いろいろな方との縁で再びつながったという事実は、しっかりと胸に刻んでおきたいと思っている。

提供:福岡市

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思えば、哲から博多座の観劇券をプレゼントしてもらって、この劇場を訪れたのが奇跡の始まりだったような気がする。

まさにこの劇場には、「パワースポット」と呼ぶに相応しい、非日常的かつ生きる力を与えてくれるような独特の雰囲気が漂っている。

気がつくと小春日和の穏やかな日差しが、博多座の大提灯の下に立つ私を柔らかく包み込んでいた。

そして西の方角に目をやると、博多川にかかる博多大橋を越えて「あの人」が歩いてくる姿が見えた。

「あぁ…今日はまたとない博多座日和ね」

私はそうつぶやいて、「あの人」に向かって一歩足を踏み出した。

「博多座日和」完

 

※この物語はフィクションであり、登場人物はすべて架空のものです。 

※本文章について、「私的使用のための複製」や「引用」など著作権法上認められた場合を除き、無断で複製・転用することはできません。

 

※情報は2015.9.10時点のものです

AKASAKA BOY

謎のライター

1978年福岡市赤坂生まれ。福岡の街の魅力を小説形式で発信中☆

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