【アーヤ藍】改名して得られた自分の名前の一体感

10ヶ月前、「本名」の苗字を変えた。結婚したわけでも、離婚したわけでも、改宗したわけでもない。名前は日々呼ばれるもので、自分のアイデンティティーとも深く結びついている。家族関係で色々な問題があった私は、家族と強く結びついている苗字で呼ばれることが辛くてたまらなかった。

 

自分で選んだ新しい苗字は、大学時代、アラビア語の研修で訪れた中東・シリアで先生からもらった名前「アーヤ」だ。アラビア語で「奇跡」を意味する。大学の友人たちから呼ばれ慣れていたこと、そして内戦状態となってしまったシリアのために行動し続けようという決意から選んだ。

 

身近な人たちには改名をすんなりと受け止めてもらえたが、時には「本名」にこだわられることもある。だが「本名」すなわち本当の名前とは一体何なのだろうか。いわゆる「本名」は自分で選択したものではない。自分自身の存在を認識する大事な手段だからこそ、自分が「呼ばれたい名前」こそが、真に「本当の名前」とは言えないだろうか。

シェアハウスの同居人が誕生日を祝ってくれた時のケーキ(普段みんなから「あいちゃん」と呼ばれていますが、ケーキには「アーヤ」も入れてくれていました^^ これも嬉しかったです)

シェアハウスの同居人が誕生日を祝ってくれた時のケーキ(普段みんなから「あいちゃん」と呼ばれていますが、ケーキには「アーヤ」も入れてくれていました^^ これも嬉しかったです)

私自身は改名をしたことで、たった一人の「自分」を呼んでもらっているような感覚があり、ようやく自分と名前が合体したようにも感じている。逆に、本人が好まないあだ名で呼ばれることや、結婚で強制的に苗字を変えねばならないことなどの問題についても強く考えるようになった。それらは、自分の存在自体を否定されることや、アイデンティティーの拠り所を奪われることとも、大袈裟でなく結びついているはずだ。

 

普段何気なく呼んでいる人の名前や、呼ばれているあなた自身の名前は「本当の名前」か。一度問い直してみてはどうだろうか。

 

※情報は2015.10.31時点のものです

アーヤ藍

ユナイテッドピープル(福岡市)取締役。社会問題をテーマとした映画の配給を行う。特に戦争や紛争、差別偏見、虐待など「ヒトがヒトを傷つける」問題に関心が強く、仕事、プライベート問わず発信している。1990年生まれ。

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