震災の全壊にも負けん!「気仙沼マドンナ」との出逢い&「奇跡の一本松」にて

東海道五十三次、総距離は492km。京都から江戸・東京まで、歩いていた息子より、

「俺の足、止まらんくなったけん、東に向かうけん…」

と連絡をもらった私。

「あ〜そんな予感がしていました。で、何処に行くの?」

「えっと…東北へ向かう。気仙沼の…」

「気仙沼…へえ〜〜」

今までの経験から、何を言われても驚く事もなく、距離を調べると、今までの距離が500kmあまり、さらに500km歩くという…。

しかも2月。

寒かろう…。

さらに息子は、福島を通り、かつてボランティア活動をしていた宮城に行くと言いだしました。

聞いた私は思わず、自分のスケジュール帳を見ながら、呟きました。

「おお〜〜それって、来週末は母も、便乗していい??」

(実はこの歩きの旅、ここに至るまでも、いろんなストーリーがあったようなので、後日また書きたいと思っています。)

ということで、

仙台空港で待ち合わせをした私、久しぶりに彼の顔を見た瞬間、思ったのは

「黒い…」

日本列島を東に向かって歩くため、冬なのに息子の顔は真っ黒に日焼けし、長旅のお供の、靴は足の甲をかばうはずの皮も底も、ひび割れていました。

前回来た時は、やはり長旅で、下駄が縦に割れてしまい、ガムテープでぐるぐる巻きにして行き、どこに行っても最初の話題になってよかったらしいです。

さすがに時間の制限もあり、空港からレンタカーに乗って行きました。

自分の足で歩んできた、福島原発の周辺地域の話しを聞きながら(こちらも後日書きます)向かったのは、宮城県気仙沼市の唐桑半島にある民宿「唐桑御殿 つなかん

漁業が盛んなこの地区ですが、こちらの住所は

「マグロが立つ」と漢字で書いて「鮪立」(しびたち)と読みます。(う〜〜ん、難しい地名だわ)

民宿「唐桑御殿つなかん」

民宿「唐桑御殿つなかん」

1950年代後半~70年代に、マグロ漁が最盛の頃、漁師たちが勲章として、競うように建てた、立派な入母屋造りの家は「唐桑御殿」と呼ばれています。

この築100年の建物と同じくらい魅力なのは、女将の菅野一代(いちよ)さん。

菅野一代さん

菅野一代さん

 

「2011年3月10日にね。借金して、やっと新しく揃えた牡蠣の養殖用のイカダや仕掛け。その翌日にさ、3月11日に津波が来て…。10分たらずで工場も含めてぜんぶ流され、我が家も全部やられてさ。財産も全部なくなってしまったのよ。ははは…」

東日本大震災で、津波の大被害を受けたこの地区。すこし高台に立つこの家も3階まで水をかぶり、そんななか震災直後に学生ボランティアがダンボールに書き残していったメッセージに励まされ、ネットを介したファンドで1000万円集め、全壊した自宅を復旧。翌年8月にみんなが集まれる民宿を開いたそうです。

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