子どもの「躾(しつけ)」と「虐待」その分かれ目は?

久しぶりにコラムを書かせていただきます。

皆さま、覚えていらっしゃいますか?

ヒデト☆ティーチャーです。

前回までに書いていた万羽鶴を一端置いといて!

あ、だいぶ置いてるわ…(笑

すんませんm(_ _)m

※ヒデト☆ティーチャーの過去の記事はこちら⇒https://fanfunfukuoka.com/hideto_teacher/

今回、こうしてコラムを書かせていただこうと思ったのは、「無事でよかった件」について思うことがあるからです。

今回の騒動。皆さまもさぞかし心配されたことでしょう。

私もその一人です。

そして、今回のことで「躾」とは?と、改めて考えたのではないでしょうか?

皆さま、「躾」とは何でしょう?

「躾」を辞書で引いてみますと、『子どもなどに礼儀作法を教えて身につけさせること。また,身についた礼儀作法』とあります。

礼儀作法を身につけることは、とっても大切なことですね。

昔から大人は、よく言います。

「躾が行き届いとらん!」

「誰が躾をしたのか!親の顔が見てみたい!」

背筋が伸びるようなこの言葉(笑

反面。

「よう躾が行き届いとる!」

という声もあります。

それだけ「躾」というのを大事にしてきたのです。

しかし、いつからか、その「躾」の本質がきちんと伝わってきていないような気がします。

「躾」の本質とは、私が思うに、どこまでが「躾」の程度かという判断基準です。

判断基準は時の流れによって変わることがあります。

例えばお金の価値です。

「円」の価値は、時代によって大きく異なります。

「躾」もそうです。

一方から見ると「躾」をしているつもりでも、他方から見ると「虐待」と捉えられることもあるようです。

だから、適格な判断基準をもつ必要があると思います。

的確な判断基準は、自分一人で、一家族で決められるものではありません。

「うち」と「よそ」とで判断基準にズレが生じると、「躾」だとしても、「虐待」だと言われるかもしれないからです。

それを解消するには会話が必要です!

皆さま、もっと会話しましょう。

うちの子育て論と、よその子育て論。

うちの「躾」と、よその「躾」。

その積み重ねが、「わたし」にきちんとした判断基準をもたえてくれます。

ズレの少ない判断基準をもたせてくれます。

そうすると、ここから先は「躾」が必要!

というのが見えてくる、私はそう思っています。

※情報は2016.6.8時点のものです

ヒデト☆ティーチャー

中学1年のころ、イジメ自殺問題をニュースで見て学校を変えたい!」と教師を志す。大学時、学校と社会をつなぐ教師になる!と決める。子ども達と一緒にみんなで同じ目標をもって、学習、活動をするのが大好き。現役の小学校教諭。高校、大学時代はラグビーに熱中。『ラグビーに受けた恩は、ラグビーに返す。』2019年ラグビーワールドカップ日本開催に向けて尽力している。

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