「共感」への恐怖とヘイトクライムについて考える

思春期の頃から宇宙が苦手でした。

13歳の初夏の頃、苺を食べていて、ふとその苺を私が食べて咀嚼するという【私の中での】数秒の中に、実は【苺の中では】宇宙が形成されているのではないかと感じました。私の中の数秒が、実は何かにとっての数億年ではないかと。物理とか全く分からないのですが、とにかく水を飲む一瞬に、水の中で宇宙が形成されているのではとか、この地球も超越したなにかが水を飲む一瞬の中の数秒なのではないかと感じたのです。

水を飲んだり苺食べたりするたびに、そのように時間や宇宙というものについて考えすぎてしまい、ついには寝込んでしまいました。ベッドで仰向けになり天井を見つめながら、「多分これは私の低IQの頭脳では到底理解できないものだから、分を弁えて触れずにおこう」と心に決めたのを鮮明に覚えています。

以来、私は宇宙関連の話題がとても苦手で、NASAの映像とかロケット打ち上げのニュースを見るたびに拒絶反応をしていたのですが、ここ一年程で宇宙の話題が怖くなくなりました。先日、読書仲間に「火星の人」という本を貸しながら、あ、そういえば最近、宇宙が怖くなくなっている!と気付いたのであります。

さて、では私のこのエピソードを聞いて、人はどのような感想を抱くでしょうか。

当時、保護者であった私の母親はひどく動揺しました。私は母に、「宇宙と時間について考え込んでいて、心臓が非常に苦しい。今私はこの考えに捕らわれているので、中学校に行って義務教育を受ける余裕がない」と伝えました。母は、一日目はそれで休ませてくれましたが、二日目になると感情的になってしまい、「精神病院に連れて行く!」と言い出しました。13歳の私は憤慨しました。こちらは論理的に説明しているのに、相手は感情的で野蛮な対応を取っている、と。

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