「美人モデル」と「すっぴんスウェット姿」で違うコーヒーサービス

先日のことです。

都心のオフィスビル一階のお洒落なカフェで打ち合わせでした。お相手は格別に美しいモデルさんです。私はすっぴんでスウェット姿でした。まつエクとかもしておらず、普段より明らかに醜い状態です。そんな姿でモデルさんと打ち合わせでした。

モデルさんと二人で店内に入ると、談笑しながらカウンターで注文し、それぞれ紙カップを持って着席しました。ふと、私と彼女の紙カップを比べました。そしてふたつの紙カップの驚くべき違いを発見しました。

美人モデルさんのカップは、黒々とした字で、Thank youとはっきり書かれています。小さなハートもふたつ付いています。

すっぴんスウェットの私のカップは、うっすらと、Aらしき文字が殴り書きされています。意味すら不明です。ダイングメッセージめいています。誰か殺されたのかと思いました。

醜い姿で徘徊していると、こういうことがあります。

それでも毎日化粧はしません。何故なら、非合理的だからです。例えばエクセルで経理処理をすると目が乾燥します。それなのに重たいマスカラをつけるなんて無駄です。そして長時間作業すると肩が凝ります。肩が凝るのにブラジャー等の衣類で身体を締め付けるのはおかしいです。となると事務作業の多い日は、たとえ世間から冷たい扱いを受けようと、すっぴんスウェット姿が一番効率的なのです。

このような私の考えは、なかなか受け入れられません。何故だろうと不思議に思っていたのですが、気付いたことがあります。それは、私が華僑的な思想を持っているからです。つまり、劣等感を持たない人間だからです。

華僑は劣等感を持たないと言います。劣等感を持ち他人に嫉妬することは、馬鹿げていると考えるからです。自分と他人を比べません。ライバル心もありません。身分不相応なものも買いません。フェラーリが欲しいと思ったら必ずフェラーリを買います。途中で妥協してポルシェを買うことはありません。もし車が必要な場合は、フェラーリを買えるまでは、ボロボロの中古車で凌ぎます。そこに羞恥心や躊躇いはありません。目標はフェラーリ一点なので、それ以外の些事はどうでもいいのです。

私もこの華僑的思考が身に沁みついています。それゆえ、マジョリティ日本人の不可解な行動(劣等感)に戸惑うことが多々あります。

例えば今の会社の封筒をいまだにゴム印を押して作成していますが、殆どの企業はオリジナル封筒を作っています。請求書発布の宛先が月1000件とかであればオリジナル封筒を作りますが、今の規模でわざわざオリジナル封筒を作る必要性を感じません。誰かを雇ったりする際も、必ず自分より優秀な人間とだけ働くようにしています。自分の能力が一番低いと自覚している状態でないと、わざわざ人を雇う意味がないと考えます。被雇用者より自分が優れていると、会社の大事なお金を無駄使いしているのでないかと不安になるのです。つまり、私にとっての優越感は、会社の脅威となる恐ろしい怪物なのです。

劣等感を持たない華僑的思考は、とても有効です。

自分に劣等感がないと、他人を羨むことも蔑むこともありません。君は君、我は我なり。人は、優劣で判別出来るような単純な存在ではありません。もっと複雑です。劣等感を抱き、順位を決める行為は無駄です。面倒くさいです。

不気味なことに、マジョリティは劣等感を大事に抱え込んでいるように見えます。とても不思議です。すっぴんスウェット姿で銀座を徘徊しながら、そんな無益で恐ろしい物はさっさと捨てればいいのになあと、ひとり、首をかしげるのでありました。

 

※情報は2016.12.7時点のものです

カミーユ綾香

北九州市出身。在日韓国人と中国残留孤児の多く住む多国籍な街で育つ。 警固インターナショナルの代表として、十数言語による語学スクールとインバウンド支援の多言語ウェブサイト制作会社を運営する一方、難病の重症筋無力症とパンセクシュアルというセクシュアリティの当事者として、様々なマイノリティの生きやすい社会を目指して精力的に活動中。http://www.kego-international.com/

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