物語の中に潜む矛盾。追究して分かった真実とは―

白雪公主を読んでいます。

白雪公主とは、白雪姫の中国語訳です。内容は同じです。

白雪姫が継母に殺されかけ、毒を盛られ、王子様にキスをされます。キスをされて生き返るくだりを読むと、私はいつも勿体ないと感じるのです。もし自分が白雪姫だったら、キスで奇跡を起こした王子様を持ち上げて、宗教を創設すると思うのです。死者をキスで再生させたのですから、これはかなりの奇跡です。キリスト教であればすぐに聖人に認定されそうです。物語の結末も、【二人はお城で幸せに暮らしました】よりは【二人は教祖となり布教の旅に出ました】の方が面白いと思うのです。

 

というようなことを考えながら読み進めるうちに、そういえばディズニーの【いつか王子様が】も白雪姫の主題歌だったなと思い出しました。日本語の歌詞は、どうだったかなと調べてみると、このような内容でした。

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いつか必ず 王子様が 私を見つけ出し お城へ連れていく

いつか必ず 幸せになる とこしえの愛の鐘が 鳴り渡るでしょう

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なるほど。

全然面白くないので、私の希望するように、ふたりは宗教を興したという結末を想定して歌詞を作ってみましょう。

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いつか必ず 王子様が 私を生き返らせ 教祖様となる

いつか必ず 幸せになる とこしえの念仏が 鳴り渡るでしょう

最高の歌詞となりました。

【お城でとこしえの愛の鐘を鳴らす】のと【とこしえの念仏を鳴らして旅に出る】のであれば、私は圧倒的に後者の方に惹かれます。そもそも【王子様が私を見つけ出しお城に連れて行く】ことが実行されたとすると、それはおそらく誘拐事件です。ですが、この歌は危険視されません。何故でしょう。それは、見つけ出す人が王子様で、連れていかれる場所がお城だからではないでしょうか。検証するため、対象を替えて比較しましょう。

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いつか必ず 王子様が 私を見つけ出し お城へ連れていく

いつか必ず チンピラが 私を見つけ出し 廃墟へ連れていく

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この歌詞であれば、保護者は子供に聞かせたくないというでしょう。王子様はよくてチンピラは駄目、お城はよくて廃墟は駄目。王子様もチンピラも人間、お城も廃墟も場所です。これは、ひょっとするとお金の問題でしょうか。裕福な奴になら、見つけ出されて連れ去られて構わないけど、チンピラみたいな奴だったら駄目だよという拝金主義の歌なのでしょうか。そうしてそのような内容を、小さな子供たちはうっとりとした様子で歌っているのでしょうか。

 

これ以上追究すると収拾がつかなくなりそうですですが、シンプルな解決方法がひとつあります。【見つけ出されて連れて行かれる】のではなく、【自分で見つけて連れて行く】にしたらいいのではないのでしょうか。相手に何かをされるという受け身の動作は、ときに結果を相手の責任にしてしまうことがあります。

 

社会学者ジョン・キムの言葉に、【その選択が生み出す結果に対して責任を負う決意に基づくのであれば、その選択は常に正しい】とあります。相手が王子さまでもチンピラでも教祖でも、自分の意志で見つけ、自らの責任で選択したのであれば、その選択は常に正しい。盲目的に王子さまだから見つけられてついていくのであれば、何かあったときに気持ちの整理がつきません。他者をしてなにかをされるのでなく、何事も自らの意志で。意志のあるお姫様を目指しましょう。

 

※情報は2017.1.26時点のものです

カミーユ綾香

北九州市出身。在日韓国人と中国残留孤児の多く住む多国籍な街で育つ。 警固インターナショナルの代表として、十数言語による語学スクールとインバウンド支援の多言語ウェブサイト制作会社を運営する一方、難病の重症筋無力症とパンセクシュアルというセクシュアリティの当事者として、様々なマイノリティの生きやすい社会を目指して精力的に活動中。http://www.kego-international.com/

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