日本神話×沖ノ島展(6)-埴輪の誕生と変化

九州国立博物館で開催中の特別展「宗像・沖ノ島と大和朝廷」に登場する日本神話、第6回は「埴輪の誕生」です。

垂仁天皇(すいにんてんのう)は亡くなられた皇后のための陵墓*について、臣下に意見を求められました。野見宿禰(のみのすくね)は天皇にある提案をしますが…。

*陵墓:天皇、皇族の墓所。

垂仁天皇(すいにんてんのう)は古墳に従者(じゅうしゃ)を生きたまま埋める殉死(じゅんし)のことで、心を痛められ、殉死を止める方法を臣下に問われた。

そこで、野見宿禰(のみのすくね)は、土でつくった人や馬などを天皇に献上した。

天皇は喜ばれ、「今から後、古墳には必ずこの土物をたてて、人を損なってはならぬ」といわれた。この土物を名づけて埴輪といった。

『日本書紀』巻第六より


殉死とは位の高い人が亡くなった時に、その従者などが後を追って死ぬこと。

垂仁天皇はこの風習を廃止するため、従者の身代わりとして埴輪を作らせた、と日本書紀には書かれています。

さて、このような日本書紀の記述と、考古学の発掘調査の結果は…違っています。

実は、大規模な殉死の痕跡は日本列島の古墳からは見つかっていないのです。

こちらの埴輪を見てみて下さい。

作品No.71 正装する男子形埴輪 埼玉県児玉郡美里町 
古墳時代・6世紀 東京国立博物館

作品No.71 正装する男子形埴輪 埼玉県児玉郡美里町 
古墳時代・6世紀 東京国立博物館

とても立派な服装で、腰には大刀を、腕には籠手(こて)を付けた軽武装の姿をしています。

この埴輪は従者ではなく、古墳に葬られた豪族自身を表したものではないかと考えられています。

このような埴輪からも、「殉死する従者の代わりに埴輪を作った」という日本書紀の記述と実際の古墳の様子は違っていた事が分かります。

さらにさらに。

発掘調査によれば、およそ300年間続いた古墳時代の中で埴輪の姿は様々に変化しているそうです。

古墳の始まりとともに作られたのは、円筒埴輪でした。

このような形(↓)の埴輪古墳の周囲を取り囲むようにたくさん並べられていたそうですよ

作品No.35 円筒埴輪 熊本・中ノ城古墳
古墳時代・6世紀 氷川町教育委員会

作品No.35 円筒埴輪 熊本・中ノ城古墳
古墳時代・6世紀 氷川町教育委員会

それでは人の形をした埴輪 はいつ頃から作られるようになったのでしょうか。

人物埴輪の登場は、古墳時代の開始からおよそ100年も後になります。

古墳に葬られた人を守るかのように盾をかたどった「盾形埴輪」が登場し、その後、盾と武装した人物の顔とが一体化した「盾持人物埴輪」が作られるようになります。(これが人を表した埴輪のはじまりなのですね。)

その後、巫女や農夫など様々な人の形の埴輪が古墳に並べられるようになるのです。

作品No.67 盃を掲げる女子形埴輪 伝埼玉・生野山古墳群
古墳時代・6世紀 埼玉県立さきたま史跡の博物館

作品No.67 盃を掲げる女子形埴輪 伝埼玉・生野山古墳群
古墳時代・6世紀 埼玉県立さきたま史跡の博物館

 

作品No.72 鍬をかつぐ農夫形埴輪 群馬県伊勢崎市
古墳時代・6世紀 東京国立博物館

作品No.72 鍬をかつぐ農夫形埴輪 群馬県伊勢崎市
古墳時代・6世紀 東京国立博物館

日本最古の歴史書である「古事記」「日本書紀」

発掘調査との比較で見えてくる違いも興味深いですね。

特別展「宗像・ 沖ノ島と大和朝廷」

■開催日

2017年1月1日(日・祝)〜3月5日(日)

※休館日:毎週月曜日

■料金

一般/1500円、高大生/1000円、小中生/600円

■お問い合わせ

九州国立博物館

ハローダイヤル 050-5542-8600(8:00〜10:00/年中無休)

http://www.kyuhaku.jp

※情報は2017.2.28時点のものです

九州国立博物館

住所福岡県太宰府市石坂4-7-2
TEL050-5542-8600(NTTハローダイヤル)
URLhttp://www.kyuhaku.jp/

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