心の菩薩が一瞬にして閻魔大王に変わるとき。

稀代の悪と遭遇しました。

そう感じるような、深い憤りを覚える人物と遭遇したのです。

 

そのとき私はカフェにおりました。本も読まずにぼうっとしておりました。ちょうどヨガスタジオで瞑想のレッスンを終えたばかりで、肯定的で穏やかな、菩薩様のような境地でありました。ともなく、隣の席の会話が聞こえてきました。内容から、話し手が美容室のオーナーだと分かりました。と、そのオーナーが、こんなことを言ったのです。【最近は40過ぎの女どもが山ほどやってきて、どいつもこいつも石田ゆり子にしてくれと言いやがる。無理無理(笑)。】と。

 

私の心の菩薩は、一瞬にして閻魔大王となりました。酷い。なんて性根の腐った輩だろう。石田ゆり子に憧れる女性客を馬鹿にする美容師です。女性客たちは、馬鹿にされているとも知らず、この美容師にお金を払っているのです。このカフェ代だって、その女性客のお金で賄われているはずです。しかもこの男がオーナーならカフェ代は経費で落としているはずだから、税金すら払ってないかもしれません。もはや、国賊!このまま地獄に蹴落としてやるか、御上に直訴して懲役100年くらいくらわせたいと思いました。と、ここではっと我に返りました。極悪美容師が罪人であることに変わりはありませんが、このために私の平和が乱されるなんていうことは、あってはなりません。そう悟ると、私は立ち上がり、カフェを去ったのでした。

怒りの感情は、それほど悪いものではないと思います。

それがモチベーションとなり、成長の糧になるからです。ですが、怒りが怨念に変わると、大変です。我を忘れ、収拾がつかない惨事になってしまいます。では、怒りが恨みに変わるときは、どういうときなのでしょうか。色々なケースがあると思うのですが、裏切られたと感じるときなのではないかと思うのです。激高して『信じていたのに!』『裏切られた!』と叫ぶときです。ですが私は思うのですが、人はそもそも裏切るものです。私も、あなたも。それは、故意ではなくてどうしても裏切らねばならぬ状況になることもあるという意味です。例えば、何があってもこの人と絶対に別れないと宣言しても、その恋人が全く働かなくなって経済的に追い詰められたとしたら、別れを選ぶかもしれません。それは結果として裏切ってしまっていますが、少なくとも最初から裏切るつもりはなかったと思うのです。

 

親鸞の歎異抄に、【たとひ法然聖人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔ずべからずさふらふ】とあります。師匠の法然から念仏を唱えろと言われてるけど、もし師匠の念仏の話が嘘で、自分が師匠を信じて念仏を唱えて地獄に落ちたとしても、私は絶対に後悔しない、というような意味です。この言葉に、私は深く共感します。愛情でも友情でも、誰かを思うときには裏切られる覚悟を持とうとします。その覚悟があると、素直になり、強くなります。深く傷ついたとしても、愛し続けることが出来ます。辛くてその人々の元を去る決断をしても、遠くから見守ることもできます。つまり自身が怒りや恨みで醜くなることを回避できるのです。

 

人は弱く裏切るものだとして、愛する。素直に愛し、素直に怒り、素直に悲しむ。裏切るということを肯定的に捉え、より慈悲の深い人間を目指そうと思うのです。日常で遭遇してしまうあなたの怒りが、どうか深い慈しみに変わりますように。

【慈悲の瞑想】 

怒りが憎しみに変わりそうなとき、心の中で三回ずつ唱えます

 

私は幸せでありますように

私の苦しみがなくなりますように

私の願い事が叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように 私は幸せでありますように 私は幸せでありますように

 

私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の苦しみが無くなりますように

私の親しい人々の願い事が叶えられますように

私の親しい人々にも悟りの光が現れますように

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの苦しみが無くなりますように

生きとし生けるものの願い事が叶えられますように

生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

 

私の嫌いな人々が幸せでありますように

私の嫌いな人々の苦しみが無くなりますように

私の嫌いな人々の願い事が叶えられますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私の嫌いな人々が幸せでありますように 私の嫌いな人々が幸せでありますように 私の嫌いな人々が幸せでありますように

私を嫌っている人々が幸せでありますように

私を嫌っている人々の苦しみが無くなりますように

私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように

私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々が幸せでありますように 私を嫌っている人々が幸せでありますように 私を嫌っている人々が幸せでありますように

生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものが幸せでありますように

※情報は2017.4.12時点のものです

カミーユ綾香

北九州市出身。在日韓国人と中国残留孤児の多く住む多国籍な街で育つ。 警固インターナショナルの代表として、十数言語による語学スクールとインバウンド支援の多言語ウェブサイト制作会社を運営する一方、難病の重症筋無力症とパンセクシュアルというセクシュアリティの当事者として、様々なマイノリティの生きやすい社会を目指して精力的に活動中。http://www.kego-international.com/

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