赤ちゃんの周りには自然しかない~遊びの天才に学ぶ多様性

息子が生後10か月になりました。

うつぶせの姿勢が嫌いで、ハイハイしない息子ですが、最近はつかまり立ちをしながら、身の回りのあらゆるものに手を伸ばすようになりました。赤ちゃん用に作られたおもちゃだけならいいのですが、チラシ、財布、食器、ペットボトルなど、身近にあるものなら何でも興味津々です。

どんなものでも遊びの素材に変えてしまう息子を見ていて、赤ちゃんの周りには自然しかないんだなぁと感じています。

多くの時間を室内で過ごす息子の身の回りに、自然物はめったにありません。カシャカシャと音のするビニール袋やチラシが大好きで、ペットボトルを振り回し、そして、なぜか財布を見ると喜んだり……。むしろ人工物ばかりです。

ただし、人工物であっても、自分でビニール袋に物を入れて使うことはないし、財布にお金を出し入れすることもなく、ペットボトルで水を飲むこともありません。おもちゃさえも意図通りに遊ぶとは限らず、すべてがただ触れて、舐めて、握って、投げて、遊ぶ対象です。

つまり、どんな人工物も道具として利用することはなく、言わば自然のままに遊んでいるのです。

大人にとって、人工物には意味があります。ビニール袋は何かを入れて使うものですし、ペットボトルは飲み物を容れるもので、財布はお金を出し入れするものです。さらには、意味のないものさえ、ゴミとして捨てるべきものとされています。

でも、赤ちゃんにとってはすべてが無意味で、自然にあるがままのもの。その意味で、赤ちゃんの周りは自然しかないのです。

本来、あらゆる人工物も自然物としての側面を持っていて、赤ちゃんはそんな人工物のもつ自然の側面で遊ぶ天才です。もちろん危ない物や壊れたら困るものもあるので、すべての物で遊べるわけではないですが、だからこそ、遊べる物ではとことん遊んでほしいものです。

私は糸島市の住宅地にあるアトリエのガレージで、「こうもりあそびば」という近所の子どもが遊びに来る場を開いています。

そこには、けん玉やトランプなどの遊び道具もありますが、不要なダンボール、新聞紙、空き箱、ペットボトル、木材、ラップの芯など、ふざけて「ゴミ広場」などと呼ばれるくらいに、無意味なものがあふれています。

遊びに来るのは小学生が多く、無意味なものの中に価値を見つけたり、意味を組み替えたりして、いつも新たな遊びが生まれています。無意味なものから創り出すことが不得意な子もいますが、そういうときは、遊んでいる別の子や私の姿がヒントになります。

赤ちゃん向けの市販のおもちゃを見ていると、何かと「○○力が育つ」などと意味が与えられています。けれどもっと遊びは自由で、あらかじめ何を学び、どう育つかなんてわかりません。それよりも、息子が今どんなことが好きで、今何をして遊びたいか、ということを大事にしたいです。

息子とはまだ一緒に生き物を捕まえたり森に入ったりできないけれど、彼にとっての「自然」も多様で豊かであってほしいと思います。木の実や草の種を仕込んだペットボトルは、そんな彼のお気に入りのひとつです。

 

※情報は2017.6.27時点のものです

野島智司(のじま・さとし)

ネイチャーライターで、身近な自然をテーマにした個人プロジェクト「マイマイ計画」主宰。糸島で住み開きのアトリエ「小さな脱線研究所」をじわじわオープンしています。10か月になる息子が研究所長で、ガレージは近所の子どもたちとの遊び場。自然や遊びをテーマに、家族や近所の子どもたちと関わりながら、日々思うこと、感じることなどをありのままに書いていきます。http://maimaikeikaku.net

関連タグ

この記事もおすすめ