『佐賀弁』が歌に役立つ!? 宇都宮直高さんに直撃インタビュー

*佐賀市プロモーション大使の宇都宮直高さんは、ふだんは東京はじめ全国の舞台で活動するテノール歌手。
東京藝術大学声楽科に在学中に、浅利慶太さん率いるミュージカル劇団「劇団四季」の劇団員になり、『ライオンキング』の主役シンバをつとめました。現在は東京で、演技、歌、ボイストレーニングはもちろん、ことば全体からアプローチするスクールを経営、人に伝わるプレゼンテーションやスピーチをするためのレッスンを行なっています。ことし、佐賀市プロモーション大使になった宇都宮さんにインタビューしました。

※前回記事「『佐賀弁ラジオ体操』 のナレーション宇都宮直高さんに聞くヒットの理由」

――7月2日のバルーンミュージアムでは、コンサートの後、CD販売&サイン会でお客さんと親しくお話しされていましたね。

あの日はすごく嬉しいことがあったんですよ。コンサートを聞いてくれた小学生が、お母さんと僕のところに来られて、「宇都宮さんのなさっているスクールに通いたいんですが……」と言われたんです。「えっ、東京ですよ」と驚いて、わけをお聞きしたら、「宇都宮さんたち4人が歌っているのを聞いて、自分もそんなふうになりたいと思いました」って……感激ですよね。

――それはすごい! 宇都宮さんのスクールは、演技と歌を教えておられるんですか?

いや、「ことば」に関するアプローチすべてです。舞台に立ちたいという方への演技や歌の指導のほか、会社でプレゼンするとき、いかに説得力をもって喋るか。たとえば、自分のプレゼンの中で「この言葉を浮き立たせて喋りたい」という場合の抑揚(よくよう)の付け方や、息の回し方などを教えます。

コンサートの後、お客さんたちとのひとときは貴重な時間…。7月2日、佐賀バルーンミュージアムにて。

コンサートの後、お客さんたちとのひとときは貴重な時間…。7月2日、佐賀バルーンミュージアムにて。

――そういうことをされている方はいま多いんですか? それとも新しい取り組みなのでしょうか?

スピーチのみを専門にされている方は多いですが、僕の場合はそこに〝歌〟をからめます。だから、スピーチ希望の方も歌をやります(笑)。そういう意味では新しいかもしれませんね。

――外国語に比べて、日本人の話し方って抑揚がないですからねえ。

そのなかでも、佐賀弁はとても抑揚がある方言なんですよ。自分のことで恐縮ですが、幼少期にアメリカにいたこともあって、日本語では使うことの少ない〝舌根(ぜっこん・舌の付け根の部分)〟の使い方が、わりと柔軟に対応できるようになったことは、のちのち音楽の道に進んだときに、親に感謝しました。

――日本語のほかに英語を喋っていたから?

ええ、これは、プロとしてやっていくようになり、人を指導する立場になって初めて気づいたことなんです。舞台に立って、「こういうふうな表現をしたいな」とイメージしたときに、「ああ、ここをこうしたら、英語の発音のあれに似てるな」と結びつけられたり……。

――そのための引き出しは沢山あったほうがいいと?

というより、歌の場合、息の使い方を幼少期に学ぶと、わりと柔軟に対応できるということです。

梅雨の晴れ間、吉武大地さんと。東京藝術大学の同期のふたりだが、卒業後、だいぶたって、数年前に佐賀で再会した。
「大学のころは、まさか自分たちが取材を受けるようになるとは思わなかったよな」(吉武さん)。「そうそう」(宇都宮さん)。

梅雨の晴れ間、吉武大地さんと。東京藝術大学の同期のふたりだが、卒業後、だいぶたって、数年前に佐賀で再会した。
「大学のころは、まさか自分たちが取材を受けるようになるとは思わなかったよな」(吉武さん)。「そうそう」(宇都宮さん)。

――佐賀市文化会館でも、子ども向けの音楽のワークショップのプログラムがいろいろ行なわれているんですが、子どもにとって有意義なことなんですね?

いいんです。

――スクールは立ち上げられてどれぐらいですか?

もうすぐ3年になりますが、音楽の教職免許をもっている身としては、面白いものを提供したいと思いますし、やっぱり「音楽って素晴らしいな」とみんなで共有できるものを設(もう)けたい。

生徒さんが劇団の試験やオーディションに受かって、着実に、舞台に乗っていってる姿を見たり、会社のプレゼンでうまくいくと、教える僕も嬉しいです。 

結婚式のスピーチの話し方の依頼も結構ありますが、緊張のあまり、レッスンの最初ではへどもど、していた新郎の方が、結婚式当日のヴィデオを見ると、「今日はみなさんご多用の中、私どものためにお運びいただきまして、まことにありがとう存じました」と、これがまた朗々たる立派なスピーチで……。

――教える先生がよいせいでしょうが、あんまり上手になって、何度も結婚式やりたくなったらどうするんですか(笑)。

ハハハ、人前で喋る機会は、結婚式に限りませんから(笑)。総じて、「人前で喋るにはどうすればいいですか?」というご相談は多いです。

――的確に伝えるということが、大事な世の中になってきました。ところで、生徒さんたちは、宇都宮さんが音楽家としてステージに立つ方であることをどう思われてるんでしょう?

みなさん、僕がアーティストであり演奏家であることも知っていますので、レッスンのスケジュールも生徒さんが合わせてくれたりします。生徒さんからすると、「先生には歌い手として現役であってほしい」という気持ちがあるみたいで、今回、「佐賀弁ラジオ体操第一」のナレーションを務めたことも喜んでくれています。

教える立場として、スクールでは標準語を喋っていますので、生徒さんから見ると、「佐賀弁を喋るボク」はかなり新鮮らしくて(笑)。「先生はいつも『舞台は標準語だよ』とおっしゃいますが、佐賀弁ラジオ体操を聞いて、その意味がわかりました。先生も強制的に方言を標準語に直されたんですね」と言われたんです。

生徒さんには、大分や北海道から東京に来られている方もおられます。どうしても、そこそこの方言が出るので直すんですけれども、僕の佐賀弁を聞いて、「なるほど、これだけ(言葉が)変われるというのは、相当勉強しないとできませんね」と理解してくれました。

佐賀バルーンミュージアムのロビーにて。左から、テノール歌手の宮原健一郎さん、吉武大地さん、宇都宮直高さん、松村湧太さん。

佐賀バルーンミュージアムのロビーにて。左から、テノール歌手の宮原健一郎さん、吉武大地さん、宇都宮直高さん、松村湧太さん。

――先生も同じようにすごく頑張って直したんだと。「佐賀弁ラジオ体操」が宇都宮さんのためにもなってよかったです。

もちろん、方言が悪いという意味ではないんですよ。実際、佐賀弁は、ドイツ語やイタリア語の歌を歌うときに役に立つんです。標準語では、あ・い・う・え・おの母音をはっきり言うのに対して、佐賀弁の母音は、僕が数えたところによると、23ぐらいに分かれてるんです。

――えっ、そんなに数があるんですか?

あります。標準語の「あ」は1つですが、佐賀弁だと、いぁ、えぁ、おぁ、あー、フランス語みたいな鼻に抜ける鼻母音のアまで含めて、いろいろある。九州の人が歌がうまいのは、この方言の母音の幅広さから言っても、うなずけます。

――面白いです。宇都宮さんのような音の専門家の耳には、「あ」がそんなふうに聞こえるんですね。おっしゃるとおり、歴代の人気歌手やアイドルは、郷ひろみさんも松田聖子さん、チェッカーズ、浜崎あゆみさんなど、みな九州の出身です。

オペラやミュージカルをやる人も、九州出身の人が多いですよ。

――九州の人は東京の人と比べて、感情を表(おもて)に出すのを恥ずかしがらないというのはあるかもしれません。

はい、東北の方は情熱を内に秘めて、こらえてるような感じ。東北出身の歌い手はフランス語が得意な人が多いような気がします。

コンサートのひとこま。その場の雰囲気をとらえて、ぱっと、お客さんの心をつかむのは、ミュージカルの舞台に立ってきた宇都宮さんならでは。

コンサートのひとこま。その場の雰囲気をとらえて、ぱっと、お客さんの心をつかむのは、ミュージカルの舞台に立ってきた宇都宮さんならでは。

――大阪の人はお笑いが得意ですし……。

関西のあのノリは自分も欲しいですね(笑)。素晴らしい。出身地それぞれに得意な分野がありますが、たとえばイタリア語で歌うときは、パーンと開く。それには佐賀の気候が合っていると思います。

――宇都宮さんはイタリア語の歌のほうが得意ですか?

いや、昔からはっきりした話し方なので、ドイツ語の歌が好きなんですが(笑)。歌っていて思いますが、日本語で歌うのは難しいですよ。

――どんなところが?

日本語ってわりとべちゃっと平たい感じ。でも、べちゃっと平たいと歌にならないので、難しいんです。

その証拠にお恥ずかしい話ですが、日本語のオペラに、<字幕>が出るんです。何を言ってるか、よくわからないというので……。ふつうに日本語で話すのとオペラで歌うのとでは、発声から違っていますし、オペラのほうがかなり深い。日本語の「う」「え」も、オペラだと「オオウ」「オオエ」という特殊な音にまでもっていかないといけない。そこをうまく処理したのが、「劇団四季」なんです。

佐賀ではこんなみごとなお茄子がとれます。佐賀市三瀬高原のやさい直売所「マッちゃん」にて。

佐賀ではこんなみごとなお茄子がとれます。佐賀市三瀬高原のやさい直売所「マッちゃん」にて。

――なるほど。宇都宮さんは東京藝大の学生のときに、「劇団四季」に入団されたんでしたね。役のオーディションを受けられたんですか?

いや、団員のオーディションです。当時は異例でしたが、大学2年の終わりか3年の初めぐらいに受けました。学生なので本当は舞台に上がれないところを、(劇団四季を主宰する)浅利慶太先生が「使いたい」と言って下さり、入団して3か月後には舞台に立っていました。

――それほど魅力があったということでしょう。ただ、劇団と学業の〝二足のわらじ〟は大変だったでしょうね?

大変でした(笑)。若いからこそ出来たんですよねぇ……。大学4年の頃は、舞台に出て、『ライオンキング』のヤギの役を演(や)って、終わって、夕方、大学に帰り、卒業試験の演奏をするという、もはや自分が何をしているのかよくわからない、めまぐるしい生活をしていました。

――東京藝大の声楽科は何人ぐらいいるんですか?

僕のときは50人ぐらいです。でも、ほかの私立の音大に比べたら少ないんですよ。国立(くにたち)音大だと120人ぐらいいます。

――学生のときからしたいことを見つけて、才能を開花させて、素晴らしいことですね。

いやいや(笑)、『ライオンキング』も最初は「草」からのスタートですから。

――草の役?

そう、端役(はやく)です。何人かいるんですよ、草の役も。稽古のとき、浅利先生から、「なんだ、それは……そんなんじゃあ、草に見えないだろ、ちゃんとやれよ!」と草たちが怒られてるときに、「でも、一人だけいるんだよ。そこに草になりきってるやつが」って……(と両手を上にあげて、体全体で草のように揺れながら)それがボクだったんです!

――ハハハ、草になりきった。

佐賀に育って、よかったですよ。佐賀の田んぼに囲まれた風景を思い出すと、すぐ草の気持ちになれましたから。おかげで、草の次はヤギの役に出世しまして、それから主役のシンバに昇格できた、というわけです(笑)。

(インタビュー・文 樋渡優子)

※情報は2017.7.31時点のものです

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