抱っこ紐をしながら1歳の息子とぼんやり歩く幸せ

小さな頃から、女の子に間違われることが多かった。

おかっぱ頭がお気に入り。
人形遊びや料理ごっこが好きで、近所の女の子とよく遊んでいた。
なんとなく、赤い服が好きだった。
他人からどう思われるかなんて、ほとんど気にしていなかった。
むしろ、女の子だと思われるなんておもしろいなーくらいに思っていた。

10代になった。声変わりした。
自分の心身にも男っぽさが出てきた。
……つもりだった。
実際は、声変わりしたのに「声が高いね」と言われた。(それ以上に「声が小さい」と言われたけれど)
「えっと……、男?」と聞かれることもあった。
だんだん他人からどう見られるかが、気になるようになった。

一人称も悩みの種だった。
「おれ」は苦手だった。
「わたし」と言うと、ますます女性的になってしまうような気がした。
幼い感じのする「ぼく」を使いながら、しっくりこない気持ちを抱いていた。
ときには「おら」や「おいら」などと言ってみたり、自分のニックネームを自分で言ってみたりした。

競争心が少なく、動物が好きで、物静かで、涙もろくて、おっとりした性格。
小説を読むにも、女性が主人公の物語をよく読んだ。その方が感情移入できるような気がした。

女性になりたかったわけじゃない。
恋愛対象は女性だったし、自分の性別も男性だと認識していた。
ただ、恋愛は苦手で、男らしさより自分らしさが大事だと思いたかったけれど、20代以降も、恋愛を通して自分を肯定することは難しかった。

そんな人でも肯定されることがあるとわかったのは、30代半ばを過ぎ、見た目もおじさんっぽくなってきたここ数年のこと。
パートナーと出会い、子を授かったことが大きい。

もともと子どもへの関心が強かった私は、出産や授乳を経験でき、子育てに関わることが社会的に認められている女性が「ずるい」と、小さな頃から思ってしまっていた。
だから、子を授かったからには、できる限りその体験を共有したいと思った。

妻が妊娠して出産するまでの間は、自分だけが親になる実感を持てないと感じ、置いてきぼり感が強かった。
ところが、いざ産まれてすぐの赤ん坊を抱いたら、こんな生き物がこの世に存在するのかってくらい、可愛いと感じた。じわじわ愛着がわくというよりも、驚くほどはっきりと、赤ん坊のことを好きになった。
入院生活をともにしながら、私の抱っこで泣き止んだり、(ないのに)おっぱいをさがしたり、そのまま眠ってくれたときなどは、特に幸せな気持ちになった。

彼が1歳になった今、抱っこ紐をしながらぼんやりと歩くような、何気ない瞬間に、ふと幸せを感じる。
男女関係なく、そんなことを当たり前にできるのは、いい時代だと思う。
いちいち「こんなことをしていたら、男らしくないんじゃないか」などと気にしなくていいのだから。

いわゆる「男らしい」人でも、子どもに関わることが好きな人は多いはず。
性別にかかわらず、性別らしさにとらわれず、子どもに関わるすべての人が、そのことを幸せと感じられるような世の中であれば、子どもだって幸せなんじゃないだろうか。

※情報は2017.9.15時点のものです

野島智司(のじま・さとし)

ネイチャーライターで、身近な自然をテーマにした個人プロジェクト「マイマイ計画」主宰。糸島で住み開きのアトリエ「小さな脱線研究所」をじわじわオープンしています。10か月になる息子が研究所長で、ガレージは近所の子どもたちとの遊び場。自然や遊びをテーマに、家族や近所の子どもたちと関わりながら、日々思うこと、感じることなどをありのままに書いていきます。http://maimaikeikaku.net

関連タグ

この記事もおすすめ