穂高ゆうさん(ヴォーカリスト、モデル、元タカラジェンヌ)

今年(2014年)は、宝塚歌劇100周年の記念の年!

本拠地・兵庫県宝塚市の温泉場集客を目的に誕生した少女歌劇は、1世紀の時を経て、いまや日本を代表する舞台芸術のひとつとなっています。

今回、ご紹介するのは、福岡出身の元タカラジェンヌ・穂高ゆうさんです。

穂高さんに、仕事のポリシー、生き方のスタイルなどを聞いてみました!

Q)現在のお仕事について教えてください。

A)モデルやヴォーカリストとして幅広い分野で活動をしているほか、美と健康をテーマにした講演活動、セミナーなども実施しています。

Q)どういういきさつで宝塚歌劇団に入団したのですか?

A)学生時代は、ずっとバスケットボール一筋でした。宝塚を知ったのは、中学卒業後の3月、伯母に連れられて見に行ったのが初めてです。その時は何もピンと来ませんでした。ですが、高校時代のバスケット部のマネージャーが、宝塚を目指していたんです。彼女に「一緒に受けようよ」と誘われ、「いいよ」と気軽な気持ちで返事をし、一緒に受験をすることになったんです…。

結果は不合格でした。バレエの試験で、一歩も動けなかったんです。でも、その時は特に熱意を持って受験したわけではないし、どこか他人事に思っている自分がいました。ただ、そんな試験の当日、せっかくだからと見に行った宝塚の舞台。それが運命でした。眩しく輝く舞台で、初舞台を踏む人たちが述べる口上。その姿を見て、初めて試験で上手にできなかった自分に悔しさがこみあげてきて、『もう一度受けたい!』と思ったんです。その後、それまでずっと頑張ってきたバスケット部を辞め、バレエを習い始めました。そして遂に高校2年生の3月。宝塚音楽学校に入る事ができたんです。

Q) それからがまた大変だったのではないですか?

A) それはもう、本当に大変でした。同級生のほとんどは、幼いころから、宝塚を目指してレッスンを重ねています。40人の同期の中で、私は落ちこぼれ。また、『廊下を曲がるときは直角に』『ブラウスは袖から1㎝しか出てはいけない』など、数え切れないほどのルールがありました。考えることも、疑問に思うことすら閉ざされた、そんな毎日でした。でも、舞台に出られるようになってから、それらのルール一つ一つは舞台人として大事なことで、大切な意味があることが分かっていきました。

Q)完璧に見える穂高さんですが、失敗した経験はありますか。

A)実は、初舞台のフィナーレで大階段(26段)を降りる際、なんと!ヒールが引っ掛かり、正座状態で23段滑り落ちてしまったんです。驚くみんなの視線と、『あれ~私、なんで正座して階段降りてるの~』と思っている自分、スローモーションって本当にあるんだなって思いました(笑)。釘も刺さって大変でしたが、衣装のおかげで大事にはいたりませんでした。まだまだいーっぱいありますよ。

Q) 仕事にかけるポリシーを教えてください。

A) 柱としているのは、『女性に元気を与えられる仕事をする』ことです。そこには、阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者・小林一三先生の『清く、正しく、美しく』という言葉の教えがあります。宝塚歌劇団の団員には、この精神が徹底して刻まれています。この言葉の一つ一つには深い意味があります。そして実は、この3つの言葉の前には『朗らかに』という言葉があったんです。

舞台人である前に一人の人間として『朗らかに、清く、正しく、美しく』あること。退団した後も、この言葉を深く胸に刻んでいます。

Q)未来の自分に向けてメッセージをお願いします。

A)どんなときでも『凛としていたい』と思っています。いくつになっても憧れられる、そんな存在になりたいですね。

【編集後記】

穂高さんのもつエピソードは、ここに書き切れない(笑。すみません。

宝塚で培った人間性や、男役をされたからこそ分かる女性らしさ、その朗らかさや、強さ。たくさんの方達に、穂高さんと出会ってもらいたい!今後の公の活躍に大注目のお一人です。

(長谷川春奈)

※情報は2014.1.4時点のものです

穂高ゆうさん

unite lines:http://www.unite-lines.com/

穂高ゆうさんのブログ

http://ameblo.jp/ag-blance/

福岡の好きなところは?
故郷の浮羽です。耳納連山が大好きです。白壁と筑後川を一緒に望むことができ、季節によって、菜の花やススキが咲き乱れる。四季折々の美しい風景を眺めると、ふるさとに帰ってきたな〜って感じます。

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