「博多座」芦塚日出美社長 ×「中洲ちんや」すきやき丼

 

 

芸どころ博多を象徴する施設といえば「博多座」。歌舞伎やミュージカル公演をはじめ、質の高い公演で観客を魅了する博多座の舞台は、日常の生活から非日常の華やかな世界へと私たちを誘います。今回は、そんな「博多座」のトップに立つ芦塚日出美社長とランチデートを楽しみました。 

博多座の社長はやっぱり芸達者!

芦塚社長が誘ってくださったお店は、創業60余年になる「中洲ちんや」。2階の座敷に通されるとすでに芦塚社長がいらっしゃいました。

緊張しているこちら側の空気を読んでか、穏やかな表情で「芸どころ博多」の歴史について丁寧に教えてくださる芦塚社長。もともとは九州電力社員で、博多座の社長になる前は九州通信ネットワークの社長を務められたそうですが、九州電力時代から小唄や清元、三味線などをたしなまれていたそうです。

「明治時代、この辺りにはいくつもの劇場が立ち並んでいましたが、大正時代に入ると演劇から映画の時代へ。1972(昭和47)年、博多の街から劇場は消えましたが、1999(平成11)年、博多座の誕生によって復活しました」

芦塚社長が、芸どころ博多の歴史について分かりやすく説明してくださいます。

演劇劇場の登場と衰退

博多に最初に常設芝居小屋「永楽社」ができたのは明治7年のこと。その後、明治16年に「教楽社」が設立し、互いに競争しながら巡業歌舞伎を上演していたそうです。そして明治23年、近代演劇の祖である川上音二郎が全国的にオッペケペー節をヒットさせ、外遊後、明治29年から新劇活動を開始するようになったそうです。

川上音二郎(提供:福岡市)

川上音二郎(提供:福岡市)

その後、本格的な常設劇場が次々と登場したのですが、大正時代に入ると活動写真(映画)が普及し、時代は演劇の時代から映画の時代へと変化していきました。当時、博多での歌舞伎公演の殿堂であった「大博劇場」(大正9年開設)も、昭和47年(1972年)に閉館となりました。

しかしながら、本格的な歌舞伎演劇なんどの常設劇場の復活を望む声は少なくなく、1989年、興行界と地元財界、福岡市の合意で「新劇場」の計画構想が始まりました。それから10年後の平成11年(1999年)、ついに歌舞伎やミュージカル、宝塚歌劇、演劇などあらゆる舞台の公演が可能な「博多座」が誕生。10年越しに地元の人たちの熱い願いがカタチになったのが「博多座」だったのです。

提供:福岡市

提供:福岡市

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