野球に携わる仕事をしたくて、京都から鹿児島のクラブチームへ

今回ご登場いただくのは、鹿児島市の社会人野球クラブチーム「鹿児島ドリームウェーブ」の職員、角田(つのだ)京子さんです。 角田さんは千葉県野田市出身。立命館大学卒業後、京都市の不動産会社営業などを経て今年3月に一般社団法人「鹿児島ドリームウェーブ」に入社しました。 野球に携わる仕事がしたいと思い続け、現在の仕事に出合いました。 好きなプロ野球チームはヤクルトスワローズ、好きな選手は、同球団で内野手として活躍した宮本慎也さんだそうです。

 

―入団したきっかけは。

 中学2年から大学まで野球部のマネジャーをしていました。どうしても野球に携わる仕事をしたくて、会社を辞めて探していました。ハローワークのネット求人で見つけて応募して採用に。球団の考えていた求人とは違ったみたいで、採用すると言われた時はこちらが「大丈夫ですか」と尋ねたぐらいです。でも熱意が通じてうれしかったです。

―マネジャーを始めたのはなぜですか。

 小学6年の時、5歳上の兄が甲子園出場を懸けた千葉県大会の決勝に進みました。テレビで見ていて、負けた兄のチームメートが泣いている姿にぐっときました。その話を中学2年になって、担任との交流日誌に書いていたら、担任が野球部の顧問の先生に伝え、顧問から声を掛けてもらってマネジャーになりました。

―野球の魅力は。

 広いグランドで小さな球一つを巡ってゲームが動く。なんて大変な作業をしているんだろうと思って、面白くなりました。

―どうしても野球関係の仕事に就きたかったのですね。

 高校のころからぼんやりと思っていて、大学ではプロ野球の球団で仕事がしたいと思いました。就職活動では巨人軍だけ新卒の募集があり、応募しましたが、書類選考で落とされました。そこで野球に少しでも関係のあるスポーツメーカーや福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)などを受験しましたが、どこにも受からず、大学の地元の不動産会社に就職しました。でも諦めきれず、年齢も考えて25歳で退社しました。プロ野球球団や横浜スタジアムのアナウンサー、札幌ドーム職員などを受けましたが全滅でした。1年後、また前の会社が採用してくれて営業や人事にいたのですが、発声障害を患い、会社に迷惑をかけると思い3年前に退社しました。それからは病気の治療をしながら工場で日雇いバイトをして、野球関係の仕事を探しました。グラウンド整備や用具メーカーなど求人がありましたが、いざ応募しようと思っても志望動機が書けない。そんな時に今の球団の求人を見つけました。実家に帰って就職活動したら〝負けた感〟があるので、京都にいて、面接を受けに鹿児島まで行きました。球団代表は「変わった女性が来た」と思ったんじゃないでしょうか。

―今はどんな仕事をしているのですか。

 ユニホームのワッペンやホームページのバナー広告などに協賛していただくスポンサー探しや、大会の準備・運営などです。

―選手にはどう接していますか。

 選手は働きながら活動していますが、高校や大学で野球漬けの生活を送ってきたため、社会のルールに疎いところがあるように感じます。社会人として少しですが先輩なので、道を外さないように正してあげるようなアドバイスをしています。選手が野球に安心して打ち込める環境をつくってあげたいです。

―今後の目標は。

 チームとしては、クラブチーム日本一と都市対抗野球出場です。都市対抗は今年の九州予選で企業チームに勝ったんですが、あと一歩でした。夏に東京ドームの本大会を観戦して、すごい大会だと実感。ここで試合をしてほしいと思いました。実はチームがこんなに強いとは知らずに入団しました。強いと楽しいし、仕事もやりがいがあります。

来年は都市対抗九州予選、2年後には社会人野球日本選手権の九州予選が鹿児島であります。まずは大会を滞りなく成功させたいです。そこまでは責任を果たして、ゆくゆくはやっぱりプロ野球球団の職員になりたいです。諦めが悪いんです。年齢が年齢なので難しいかもしれませんが、年齢を超えるメッセージを球団に伝えられるような経験を積んで、挑戦したいです。

※情報は2016.10.8時点のものです

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