あの本能寺の変に遭遇!?天下人に縁がある博多の豪商

「福岡はショッピングやグルメはとても充実しているけれど、“観光”となると行くところがない」なんて話をよく耳にします。でも、地元民にもあまり知られてないだけで、観光すべき名所や穴場はあるんです。「へぇ~、知らんかった~」という観光の穴場や、ココ、実は名所なんですというとっておきのネタをご紹介します。


■町名にその名を残す博多の豪商

博多部の北西部、大博通りの終点あたりに神屋町という町があります。町名は近くに織豊(安土桃山)時代の博多の豪商・神屋宗湛(かみや そうたん)の広大な屋敷があったことにちなんでいます。

神屋町の南の奈良屋町には博多小学校がありますが、この敷地も明治時代になって、神屋宗湛の子孫が寄贈した土地なのです。

この神屋宗湛、博多の偉人として知られるだけでなく、当時の天下人、織田信長や豊臣秀吉と渡り合った商人として有名なのです。


■織田信長×神屋宗湛

まずは織田信長。当時、信長は天下統一目前でしたが、九州まではまだ勢力が及んでいません。

九州では薩摩の島津氏が九州制覇を目論んで勢力を北部九州まで拡大中。宗湛は信長の保護を得ることで、豪商としての立場を確立しようとしたのです。

当時の武士と商人の接点と言えば、茶の湯。茶人でもあった宗湛は信長が主宰する本能寺での茶会に招かれ、その日は本能寺に泊まります。

ところが翌早暁、ご存知「本能寺の変」に遭遇し、命からがら逃げ帰ります。

宗湛は夢枕に立った大黒天に起こされて助かったと、博多に帰国後、中呉服町の本興寺に大黒天像を寄進しました。


■豊臣秀吉×神屋宗湛

その後、島津が博多まで侵攻してきた際には、次の天下人・豊臣秀吉の九州征伐を支援。島津に焼き払われた博多の復興を秀吉に懇願し、博多の復興、いわゆる太閤町割を支援。宗湛は秀吉から広大な土地を与えられたのです。

宗湛は秀吉の恩に報いるために、秀吉の没後、屋敷内に秀吉の霊を祀りました。これを基に、博多復興三百年の明治十九(1886)年、屋敷跡の一角に豊国神社が造られたのです。

宗湛の巨大な墓は御供所町の妙楽寺にあります。

本興寺:福岡市博多区中呉服町6-21
豊国神社:福岡市博多区奈良屋町1-18
妙楽寺:福岡市博多区御供所町13-6

※情報は2018.6.4時点のものです

兵土G.剛

福岡歴史さんぽ案内人。

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