『西郷どん』最期の戦い5 反乱軍の蜂起で福岡は騒然

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、51歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】

『西郷どん』最期の戦い4 当時の新聞についていた画期的な附録とは?

前回の筑紫新聞カルトクイズ4

福岡で起きた大事件とは
(1)旧・福岡士族が反乱を起こした
(2)物価が高騰し庶民の生活が混乱
(3)戦争の最中に強盗が多発した件

答えは…(1)旧・福岡士族が反乱を起こした、でした

 

『西郷どん』に呼応して決起

「筑紫新聞」第3号(明治10年4月2日)は、「肥前佐賀松原神社の鳥居に、官軍降伏と大文字に書いて貼り付けてあった」と、薩摩軍支援者の存在を伝えている。

田原坂の戦いで官軍有利に形勢が傾いたとはいえ、なお『西郷どん』の支持者は、県境を越えて広がっていた。

元福岡藩士の武部小四郎、越智彦四郎、加藤堅武ら福岡党と呼ばれる人々も、明治政府に対する不満を抱いていた。

越智彦四郎(西日本新聞社提供)

越智彦四郎(西日本新聞社提供)

佐賀の乱(明治7年)、神風連の乱(明治9年)、秋月の乱(明治9年)、萩の乱(明治9年)には同調しなかったが、『西郷どん』の熊本城攻囲を知ってついに決起する。

「3月28日午前四時前後、旧城の西南、馬場頭、新屋敷より放火、六本町に蔓延す」。福岡士族の一団が市内各所に放火し、福岡城目掛けて攻撃を仕掛けた。

さらに1時間後、春吉、中洲、東川端から火が出る。「西北の烈風」だったが、「近くの人々が消火に努めて、十二軒の焼失で食い止めた」と記事にある。

後に「福岡の変(ふくおかのへん)・福岡の乱(ふくおかのらん)」と呼ばれる出来事だ。

反乱軍は、福岡城を攻めたが「守備隊が反撃し、反乱軍は敗走」「山手に逃げ込んだ反乱軍に火を放って攻撃し」た。

反乱軍は「白い木綿の布を左の腕に巻いて印とし、食糧は曲淵村や飯場村から炊き出し、死傷者は飯場村の寺に運んでいる」と記している。

戦いと火災で福岡は騒然

福岡市中は、この間「29日午後10時ごろ、小姓町、鉄砲町から出火、人々がパニック状態となった」「吉塚村からも出火」と各所で火災が起きていた。

 

反乱軍の蜂起は、参加した旧士族が思ったほど集まらなかったことや武器弾薬の準備不足もあり、3日もたずに鎮圧される。

博多中島町の五楽堂(薬屋)店頭の筑紫新聞の投書箱(西日本新聞社提供)

博多中島町の五楽堂(薬屋)店頭の筑紫新聞の投書箱(西日本新聞社提供)

「筑紫新聞」は、政府発表を記事にして「28日に福岡及び近在の士族三、四百名ばかり蜂起したが、福岡城の守備隊が撃退、この日だけで五十人あまりを捕縛した。さらに逃げる反乱軍を、早良郡金武村、曲淵村、椎原村に追撃」、反乱軍の蜂起失敗を伝えている。

反乱軍は三瀬峠や筑紫郡を越えて佐賀や久留米方面に脱出。大部分は捕縛され、一部は熊本の薩摩軍に加わる。

「筑紫新聞」第4号(明治10年4月4日)では、福岡の乱の一部始終を総括した記事と、福岡の乱の戦場の推移を記した地図を附録につけた。

紙面改良に読者の声を反映

地元密着で戦争の動きを伝える「筑紫新聞」は、市民になくてはならない存在になり、新聞販売所の数も増える。

博多区中島町の藤井孫次郎が、第6号から「売捌所」に名前を連ねる。藤井は、「筑紫新聞」第7号(明治10年4月13日)に自作の「エッセイ」を寄稿して、こんなことを書いている。

藤井孫次郎(西日本新聞社提供)

藤井孫次郎(西日本新聞社提供)

「ある日、私のところに十三、四歳のお嬢さんと、二十歳くらいのお嫁さんが新聞を買いに来て、こんな会話をしていました」

 

お嫁さん。買った新聞を手にして、お嬢さんに向かって。

 

お嫁さん「おまえは、この新聞が読めるかい?」

お嬢さん「はい。学校で文字を習ったので読めます」

お嫁さん「そうかい。私の時代には学校がなかったから、手習いでカナを覚えただけ」

お嬢さん「そうなんですね」

お嫁さん「お母さんは私に三味線や踊りを教えてくれるだけで、漢字は教えてくれなかった。だから私には、カナしか読めないよ」

お嬢さん「筑紫新聞は?」

お嫁さん「漢字が多いから、私には読めない」

 

■筑紫新聞カルトクイズ5■

この会話を聞いて藤井孫次郎は編集長に何を要望したか?

(1)文字をできるだけ大きくしてほしい

(2)漢字にできるだけ読み仮名をつけて

(3)紙面を倍くらいに大きくしてほしい

答えは次回!『西郷どん』最期の戦い6 戦災で困窮する市民…大金を配り感謝された人物

お楽しみに。

 

※情報は2018.6.15時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「かえる新聞」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が第1回松田優作賞・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「博多手一本にやり直しはない」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「全国かえる奉賛会」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

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