『西郷どん』最期の戦い7 追い詰められる薩摩軍兵士

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、51歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】

『西郷どん』最期の戦い6 戦災で困窮する市民…大金を配り感謝された人物

前回の筑紫新聞カルトクイズ6

記者の賞賛の言葉に対して、中村さんは、なんと答えたでしょうか。

(1)親の教えを守っただけで私は何もしていない
(2)戦争が終われば商売でお金は取り返せます
(3)困ったときに助け合うのが私の考えです

正解は(1)親の教えを守っただけで私は何もしていない、でした。

どこまでも謙虚な善行者

被災者に現在の貨幣価値で1千万円を超す施しを行なった中村清三さんは、博多商人の一人だった。中村さんの親もまた同じ清三と名乗っていて、親の清三さんは、ある時に、生活に困った人々のために、6つの町にお金を預けて、そのお金で困窮者の生活を助ける仕組みを作っていた。

6つの町が誰に分配するかは、町に任せて、あまりが出ると、その蓄えを元に新たな資金を積み増しして、子供の清三さんの代には、そのお金が820円まで増えていた。

子の清三さんは、西南戦争と福岡の乱で被災した人々が家を焼け出されて路頭に迷っている今こそ「たくわえを施す機会だ」と判断、貧しい人にお金を施した。お金の配り方は、地元の人に委ね、もし残りがあれば、また引き取って、同じように将来の有事の際の元手にしておこう。

中村さん親子は、私設で社会救済基金を運営していたのだ。素晴らしい善行ではないかとの、筑紫新聞の取材に対して中村さんは、こう答えている。

「自分の徳でやったのではありません。私は、親がやっていたことを、ただ同じようにやっただけです」

「筑紫新聞」は、どこまでも謙虚な中村さんの言葉を記録している。

追い詰められる薩摩軍兵士

明治10年4月筑紫新聞第8号付録「西南の役図」=熊本付近、西日本新聞社提供

明治10年4月筑紫新聞第8号付録「西南の役図」=熊本付近、西日本新聞社提供

一方、西南戦争の行方は、次第に官軍優勢、薩摩軍不利に傾いていた。「筑紫新聞第8号」(明治10年4月16日発行)によると、「4月14日、熊本城を包囲する薩摩軍を、官軍は八代から攻め、城内の官軍も呼応して薩摩軍を攻撃した」「薩摩軍が打ち出す弾丸には石玉が混ざり始めた」と、戦況の逆転と、薩摩軍の武器弾薬の欠乏振りを伝えている。

戦場となった村々は、住宅が大半焼けてしまい、「市民の人民すべてが飢えをしのぐのがやっとの有様で、実にあわれな状況だ」と描写する。

熊本市田原坂西南戦争資料館に展示されている同神社で出土した銃弾、西日本新聞社提供

熊本市田原坂西南戦争資料館に展示されている同神社で出土した銃弾、西日本新聞社提供

さらに悲惨な状況に陥っているのが、追い詰められた薩摩軍そのもので。「いまや人望をまったく失い、陣屋とするために住んでいる人を追い出し、衣食を奪い、畳を剥がして陣地に持って行き、家にあった味噌や梅干を勝手に食べて、酒を見つけると飲み…放蕩無尽の所業をなすよし」としている。

「薩摩を出たときには美しかった衣類も泥に汚れて、戦いがないときは、虱を取っている兵隊もいる。盗んだ衣類に着替えている兵士もいて、女物の衣類を着ている兵は、民家からの略奪品だ」

乃木少佐が田原坂でなくしたという軍旗のかん頭、西日本新聞社提供

乃木少佐が田原坂でなくしたという軍旗のかん頭、西日本新聞社提供

被災者救援の動きも続々

被災した市民や兵士のために、心温まるできごとが「筑紫新聞第9号」(明治10年4月19日発行)の報道でも続々と紹介されている。

「家を焼失した数十戸に救助として米を賜る」

「東京警視局各課の給仕(※事務所でお茶くみなどの雑用をこなしていた職員。少年少女もいた)36人が、戦地で負傷した警察官のために、少ない月給からお金を出し合って白木綿70反を買って戦地に送りたい、との申し出があった、感心なことである」

「福岡薬院町の商人、樋口吉次さんは、困った人に米を10俵、井上卯作さんは3俵、松村半次郎さんは5俵を贈りました」

こうした美しい出来事の一方で、物資調達と輸送の前線となっていた福岡県中部に位置する久留米(くるめ)は、戦争に乗じて大もうけする商人が続出していた。

そして、いつの時代にも、とんでもないやつはいる。新聞の面白いところは、美談も醜い話も同じ紙面の中で双方を記録してる点だ。

■筑紫新聞カルトクイズ7■

官軍から「紅生姜漬け」の発注を受けたある久留米商人、生姜を紅色にする梅酢を調達できなかった。どうやって紅生姜を納品したか?

(1)赤カブを紅生姜といって納品した
(2)生姜を着物の染料で赤く染めた
(3)久留米では白いままでも紅生姜だと強弁した

答えは次回!お楽しみに。

 

※情報は2018.6.27時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「かえる新聞」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が第1回松田優作賞・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「博多手一本にやり直しはない」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「全国かえる奉賛会」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

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