『西郷どん』最期の戦い8 戦争に乗じて大もうけする商人が続出

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、51歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】

『西郷どん』最期の戦い7 追い詰められる薩摩軍兵士

前回の筑紫新聞カルトクイズ7

官軍から「紅生姜漬け」の発注を受けたある久留米商人、生姜を紅色にする梅酢を調達できなかった。どうやって紅生姜を納品したか?

(1)赤カブを紅生姜といって納品した
(2)生姜を着物の染料で赤く染めた
(3)久留米では白いままでも紅生姜だと強弁した

答えは(2)生姜を着物の染料で赤く染めた、でした。

西南戦争の前線と、物資集積地の福岡との中継地点になった久留米市中の商家は、軒並み「未曾有の大繁盛にて…中には一時数百金の利を得たるものある中に…」と「筑紫新聞第9号」(明治10年4月19日号)は、物資調達で活況を呈する久留米の商人の状況を伝えている。

しかし「大いに損失をなしたる奇談は…」。軒並み大もうけの商人の中で、大損した商人の話を取り上げている。

官軍の会計部から戦地の糧食として使う「紅生姜漬け」の大量発注を受けたある商人。大金を投じて生姜を仕入れたまではよかったが、紅生姜を作るために必要な梅酢が入手できなかった。このままでは、紅生姜が作れない!折角の儲け話を見送るのも残念だ。

そこで商人が考え出したのが、着物などを染める染料で生姜を赤く染めて、見かけばかりの紅生姜にしてしまうこと。

「奸計を廻らし染粉を以て生姜に色を附け会計部に差出したるに、忽ち露見し大いに譴責を受け」

納品したが、スグにばれて、全量を受け取り拒否されただけでなく「出入り禁止」まで食ってしまった。大量の生姜の仕入れ数百円は丸損となり、今後の商売もなくなるという自業自得。「金儲けのあてが外れてエイザマダと専らのうわさ」と伝えている。

久留米の様子を「筑紫新聞」(明治10年4月28日号)で、久留米を経由して長崎方面を旅した人からの聞き取りとして。次のように報道している。

「途中宿駅、茶屋、粉やに至るまで、熊本の役(=西南の役、西南戦争)ある為めに非常の利益を得たるが如し…」。とりわけ久留米は、「車と人が行き交い、飲食店が仮設の店をたくさん出していて立錐の地なし」と、大賑わいの状況を記録している。

現代人には読めない「筑紫新聞」

ところで、明治10年の九州と福岡のできごとを、活き活きと記録している「筑紫新聞」は、漢字と仮名まじりで記事が作られているのだが、原本をそのまま読もうとしても読めなかった。

今回、「筑紫新聞」の読み解きにあたり、久留米大学文学部の大庭卓也・教授と北九州大学文学部の生住昌大准教授の力をお借りしたのも、そのためだ。

■筑紫新聞カルトクイズ8■
「筑紫新聞」が現代人に読めない新聞となっている原因は?

(1)誤字と誤植が多く想像しながら読む必要があるため
(2)原本が虫食いだらけで肉眼では大部分読めないから
(3)読みやすくするために仮名を採用したため

答えは次回!『西郷どん』最期の戦い9 熊本での戦いに敗れる

お楽しみに。

 

※情報は2018.6.29時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「かえる新聞」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が第1回松田優作賞・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「博多手一本にやり直しはない」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「全国かえる奉賛会」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

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