『西郷どん』最期の戦い10 福岡の同調者たちの処刑

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、52歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】

『西郷どん』最期の戦い9 熊本での戦いに敗れる

前回の筑紫新聞カルトクイズ9

「筑紫新聞」が報じた武部小四郎は、処刑の際にどのような行動をとったのか。

(1)ライオンが吼えるような声で「行くぞオォーーオオオーー」と絶叫した
(2)刑場に臨み執行人に丁寧に挨拶し平常と異なることがなかった
(3)処刑される不当を批判し大いに怒り大暴れした

 答えは(2)でした。

斬首された武部の死を惜しむ

 「西郷どん」の熊本侵攻に呼応して決起した福岡藩士族の中心人物の一人が武部小四郎だった。福岡に潜伏しているところを捕らえられて斬首される。

福岡市の平尾霊園にある、明治十年福岡の乱で死を遂げた壮士100柱をまつる魂の碑=西日本新聞社提供

福岡市の平尾霊園にある、明治10年福岡の乱で死を遂げた壮士100柱をまつる魂の碑=西日本新聞社提供

「筑紫新聞第15号」(明治10年5月7日発行)は、武部の最期を次のように記事にしている。

 「…その刑場に臨むや。落ち着き払って、看守に対して丁寧にお礼の言葉を述べ…いよいよ執行の際には、死刑執行人=斬首する人に対して、しばしの猶予を乞い、姿勢を正して首を垂れ、よろしくお願いします、と告げて刀を受けた…」

 あまりに立派な態度だったので、記事には「ああ、刑に臨んだ時に、怒ったり泣いたり態度を変える者は少なくない、これに比べて武部は、まったく平常心のままだった…(このような立派な人間が罪を犯して刑死するとは!)惜しいことだ」と特に記し、武部の辞世の句まで紹介している。

 世の中よ みつればかくる十六夜(いざよい)の つきぬ名残は露ほどもなし

 「決起して罪に問われ刑死するが、思い残したことなど一切ない」。
 辞世の句も、まったく潔い。

絶叫して死んだ説もある

 実は「筑紫新聞」を根拠にしなければ、(1)ライオンが吼えるような声で「行くぞオォーーオオオーー」と絶叫した、という答えもありうる。

 作家の夢野久作(明治22年~昭和11年)が、明治10年からおよそ60年後に刊行した「近世快人伝」(昭和10年)の中で、武部小四郎の最期に触れているくだりがある。

 そこには「筑紫新聞」の記事と異なる最期が描かれてある。

 「処刑の日、広場の真ん中に進み出た武部は、雄獅子の吼えるような颯爽たる声で、行くぞオォーーオオオーー、と絶叫した。

 さらに、そのエピソードを語った奈良原到の言葉として「あれが先生の声の聞き納めぢゃったが、今でも骨の髄まで染み透って居て、忘れようにも忘れられん」と伝えている。

 どちらが真実なのか。今となっては証明するすべはないが、現在は「近世怪人伝」の描写によって、武部の最期は、ライオンの咆哮を伴うような壮烈なものだったとして広く認識されている。

福岡の乱関係者の処罰を克明に報道

 短期間で鎮圧された福岡士族の反乱は、直接の反乱に加わらなかったものの、資金提供したり、逃亡者を匿ったりするなど、物心両面で支援した人々もいた。明治政府に不満を抱く士族は、想像以上に多かったのだ。

福岡の乱に加わった士族を顕彰する石碑の建立を報じる平成19年5月29日付の西日本新聞

福岡の乱に加わった士族を顕彰する石碑の建立を報じる平成19年5月29日付の西日本新聞

 摘発は進み、福岡の乱に加わった士族を処罰した記事が続々と掲載される。首謀者からはじまり、協力者にいたるまで、取調べの結果、懲役を科される処罰者を、理由とともに記事化している。

 「筑紫新聞第16号」(明治10年5月10日)の掲載分を例に取ると。

 筑前国早良郡谷村の士族、徳末楯夫は、「警察官でありながら越智彦四郎らの反乱に協力し、県庁内を探索した罪により士族から除籍し、懲役3年の刑に処する」。

 筑前国那珂郡堅粕村の士族、宮内六合彦は「地域を取りまとめる立場にありながら、武部小四郎の暴挙に同意して指揮に従い、市民より預かった税金を活動資金として提供した罪により士族から除籍し、懲役2年に処する。また税金165円を追徴する」。

 懲役2年未満の処罰者についても、士族の住所、氏名、罪状、処分の内容を延々と掲載していた。ところが摘発と処罰が増えるに従って、「筑紫新聞」の側に困った問題が生じてきた。

■筑紫新聞カルトクイズ10■

福岡の乱の処罰者報道は、次の「筑紫新聞第17号」(明治10年5月13日)以降は、住所を省略して名前の掲載だけにしてしまう。その理由は何だったのか?

(1)処罰者に身内がいて特定できないようにした

(2)住所の情報が不正確なことを知った

(3)印刷所の嘆きを知り名前だけにした

答えは次回!お楽しみに。

※情報は2018.7.13時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「かえる新聞」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が第1回松田優作賞・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「博多手一本にやり直しはない」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「全国かえる奉賛会」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

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