『西郷どん』最期の戦い13 「薩摩軍勝利」の記事を出したら警察に呼び出された

西郷隆盛の生涯を描く大河ドラマ『西郷どん』。その最期の舞台となるのは、51歳の生涯を閉じることになる「西南戦争」だ。九州が戦場になった「西南戦争」を福岡の人たちはどう受け止めていたのか。

140年前の新聞を元に『西郷どん』の最期の戦いを再現してみよう。

【前回の話はこちら▼】

『西郷どん』最期の戦い12 大河ドラマでは西南戦争を描くのか

■筑紫新聞カルトクイズ12■

誤報とされた「薩摩軍の人吉奪回」記事の責任を負わねばならなくなった当時の仮編集長は、その後どうなったのか?

(1)仮編集長は社内会議で責任を問われて辞職した

(2)仮編集長は警察署に呼び出されて取調べを受けた

(3)仮編集長は読者を集めて真実を伝えた

正解は(2)仮編集長は警察署に呼び出されて取調べを受けた、でした。

ほんとうのことを伝えても処罰

明治時代の新聞は、二つの法律で縛られ、報道の自由はなかった。

法律の一つは、西南戦争が始まる2年前、明治8年6月28日に太政官布告110号として定められた「讒謗律(ざんぼうりつ」。
「事実の有無を問わず、他人の名誉を害することを公布すると処罰する」と定めた法律で、役人に対する誹謗についても罰則が定められていた。事実であるかどうかを問わないというのだから、本当のことを伝えても処罰されることがある。

もう一つは、同じ日に太政官布告111号として定められた「新聞紙条例」で、新聞発行を許可制とし、反政府言論を封じる目的で制定された。

発行新聞には、社主や編集人を明記し、記事が違反した場合は、編集人に懲役を含む罰則を科すことができる。新聞自体を発行停止や発行禁止することもできた。実際に起訴されて、編集長に懲役刑や罰金刑が加えられることが度々になると、やがて新聞各社は、「実際の編集には関わらず、処罰されるための仮編集長」を雇うところも出現した。

第30号で伝えた「薩摩軍の人吉奪回」の記事は、「筑紫新聞第31号」(明治10年6月25日)によると「6月21日に仮編集長が警察に呼び出され、取調べを受けた」。

田原坂に最も近い高月官軍墓地には979柱の官軍墓標が並んでいる=昭和52年、熊本県玉東町木葉で撮影=西日本新聞社提供

取調べの結果、事実無根を報道したとして、取消し記事の掲載を求められ、「人吉を薩摩軍が奪回、の記事は、情報を伝えた者の無根の虚説でした」と謝罪し「編者も恐れ入って、記事を取り消します」と伝えている。

 

執拗な取調べを皮肉記事で応じる

役所からの紙面干渉は、日常的に行なわれていたようで、たとえば「筑紫新聞第6号」(明治10年4月10日)の記事には、次のようなものがある。

「さる7日、第一調所より尋問の筋…編集長出頭致す可くとの御呼出を頂きました」。編集長が当局に呼び出された。なんの尋問だろうかと行ってみると「文体の事」=記事についての指示があったと書いている。

取調べは、よほど執拗に時間をかけてネチネチと行なわれたのだろうか。

調べた役所のことを「よく世話が行く届くもので、(このような丁寧な仕事をするお役所があることは)私の新聞社だけでなく、市民のみんなにとっても、幸福なことでございます」と敬語を用いて皮肉を書いている。

平成10年=戦場となった熊本県八代市八幡町で、西南戦争時のひつぎが続々と出土した=西日本新聞提供

平成10年=戦場となった熊本県八代市八幡町で、西南戦争時のひつぎが続々と出土した=西日本新聞提供

徴兵検査に臨む青年たち

明治6年1月の徴兵令によって、男子は満20歳で徴兵検査を受け、健康に問題がなければ3年間の兵役につくことになっていた。

明治10年、西南戦争が起きると九州の徴兵検査は中断されていたようだが、「筑紫新聞第24号」(明治10年6月4日)に掲載された、明治10年5月31日付けの福岡県令・渡辺清の布達として「…都合により(徴兵検査を)見合わせていたが、今回、鹿児島県を除いて実施するとの達しがあった。該当する男子すべてを把握し、徴兵検査を行なう」ように各役場に指示が出た。

この福岡県の徴兵検査について、「筑紫新聞第31号」には、福岡県南部の筑後地方での徴兵検査を記事にしている。

福岡県南部の筑後地方は、「西南戦争」の戦場に近いのだが、ここでは他の地域と大きく異なる動きが多発していた。いったいどんなことが起きていたのだろうか。

■筑紫新聞カルトクイズ13■

(1)官軍勝利によって率先して徴兵に応じる青年でごった返した

(2)兵役を逃れようと不合格目指して自傷する青年が多くいた

(3)官軍の制服が着てみたいと体験入隊する人が相次いだ

答えは次回、おたのしみに。

※情報は2018.7.26時点のものです

げこげこ大王28世

1997年1月から2005年12月まで、げこげこ大王7世として、カエルに特化したニュースを集めたインターネット「かえる新聞」を運営。1999年から2008年まで10年間、そこから派生したイベント「福岡かえる展」を主宰した。

2012年、げこげこ大王28世の名で、筑豊を舞台にした映画脚本「川筋男貫徹炭坑節命(かわすじおのこくわんてつたんこうぶしいのち)」が第1回松田優作賞・優秀賞を受賞。2013年、福岡市ワンミニットフィルム コンペティションで映像作品「博多手一本にやり直しはない」(古野翼監督、優秀賞受賞)の脚本を担当。地元、九州を描いた創作も続けている。

現在は、フェイスブック上で「全国かえる奉賛会」を主宰し、2018年、10年ぶりに「福岡かえる展11」を復活する。

趣味は古今東西の戦記を読むこと。西郷隆盛の最後の戦い「西南戦争」を報道した明治時代の新聞「筑紫新聞」(1877年、明治10年)の読み解きにもかかわり、当時の戦況報道を検証している。

この記事もおすすめ