「令和」ゆかりの地、太宰府に行列! 散策用のパネル設置も?

 新元号「令和」の公表以降、典拠となった万葉集の序文ゆかりの地、福岡県太宰府市が大勢の観光客でにぎわっている。中でも、雰囲気が一変したのが大宰府政庁跡隣の坂本八幡神社。静かだった境内は行列のできるにぎわいとなった。

 序文が詠まれた「梅花(ばいか)の宴」を催した大宰帥(だざいのそち)(大宰府長官)・大伴旅人(おおとものたびと)邸があったと広まっているためだが、邸宅の候補地は他に2カ所ある。地元関係者は「関心が高まる今だからこそ、正確な情報を」と説明パネルの早期設置を求めている。

参拝客がひっきりなしに訪れる坂本八幡神社 =3日、福岡県太宰府市

 地元の森弘子・太宰府発見塾長によると、小高い丘陵にある坂本八幡神社付近を旅人邸と最初に指摘したのは故竹岡勝也九州大教授。旅人に「わが岡にさ男鹿(おしか)来鳴く…」など、邸宅が岡(丘)にあったことを思わせる歌が数首あるため。その後、観光パンフレットなどに「(同神社辺りが)梅花の宴の旅人邸跡と伝えられている」と記され、定着していった。

 しかし、1986年の九州歴史資料館(九歴)による神社周辺の発掘調査では邸宅遺構が見つからず、坂本八幡神社説に疑問符が付けられるようになった。

 代わって出てきたのが、政庁跡東の月山地区官衙(かんが)(役所)跡。大宰府史跡で出た唯一の玉石敷きの溝があり、「旅人邸の庭園跡ではないか」と九歴OBの赤司善彦・大野城心のふるさと館長はみている。

 もう一つの説は、政庁から南に通る朱雀(すざく)大路の東側説。現在の西鉄二日市駅に近く、大路を挟んで反対側には左遷された菅原道真が住んだ「府の南館」(現・榎社)があったとされる。ただ、3地点いずれも決め手に欠ける。

 3日も地元住民が「びっくり」と口をそろえる人出が続いた。説明パネル設置を急ぐとしている楠田大蔵市長は「じっくり大宰府史跡全体を歩き『令和』の雰囲気を味わってほしい」と話している。 

※情報は2019.4.4時点のものです

西日本新聞

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