博多人形店が博多駅から消滅…最後の2店が閉店

 

 福岡市のJR博多駅構内の商業施設「マイング」に半世紀以上前から出店していた博多人形専門店の「増屋(ますや)」と「はくせん」(ともに福岡市)が、店舗を同時に撤退していたことが分かった。博多駅に博多人形店は他になく、両社の撤退で出店は消滅。福岡を代表する伝統工芸品の発信拠点が、九州の陸の玄関から姿を消す事態になり、業界内外で驚きと戸惑いの声が広がっている。

博多人形店「増屋」と「はくせん」の閉店後、囲いで覆われたマイングの売り場

 マイングは構内北側の1階に広がり、約3,700平方メートルの売り場に総菜や和洋菓子、みやげ雑貨、服飾、飲食店など約90店が出店している。運営会社の「博多ステーションビル」(福岡市)によると、増屋とはくせんは施設西側のみやげ雑貨売り場に隣接し、博多織も取り扱う「博多駅店」を営業していたが、ともに販売不振を理由に6月20日付で閉店した。両店そろっての閉店は「偶然」という。

博多人形は素焼きに彩色して作るのが特徴。人物の表情や体だけでなく、衣装の質感まで緻密に表現する芸術品も生み出されている

 施設は、博多駅移転に伴い1963年に開業した旧駅ビルの1階「博多駅名店街」(89年に名称変更)が前身で、両店ともに名店街開業と同時に出店した。

 両店によると、博多駅での人形販売は山陽新幹線が開通した75年にピークを迎えたが、その後は緩やかにダウン。一時は駅構内に10店ほどあったという人形店は、いつしか2店のみに。2011年の九州新幹線鹿児島ルート全線開通で大きく巻き返すこともなかったという。

 同社によると、マイングへの1日平均来場数は約5.7万人に上り、2017年度の売上高は前年度を上回る約85億円を計上。はくせん店主の下沢善四郎さん(69)は「出張族や修学旅行の子どもたちに大人気だったのも今は昔。時代なのかなあ」と肩を落とす。

 この閉店に伴い、増屋は4人、はくせんは3人、従業員を解雇することに。増屋は博多区上川端の本店1店、はくせんは「博多町家ふるさと館」の土産品売り場を生かした通信販売へと事業縮小。増屋店主の田中哲さん(58)は「すべて自己責任。でもあきらめてはいない。経営を立て直し、もう一度出店できるよう努めたい」と気丈に話す。

土産品売り場に並ぶ「お福さん」の博多人形。縁起物として市民や観光客の人気を集めている=福岡市博多区の博多町家ふるさと館

需要伸び悩み「今こそ知恵絞る時」

 増屋は明治初期の1870年に創業し、1952年に会社設立。はくせんは2002年設立だが、1940年創業した親族の会社から事業を引き継いでおり、ともに博多人形店老舗の代表格といえる。

 人形師や卸売業者らでつくる博多人形商工業協同組合の武吉国明理事長は「大きな打撃だ。住宅事情の変化でたしかに需要は伸び悩んではいるが、400年の伝統がある産業文化。何とかならないものか」と悔しそうに語り、博多人形小売商組合の後藤和範理事長は「当事者だけでは限界がある。業界の大きな課題になった」と指摘。運営会社に福岡市も出資している点を踏まえ、市地域産業支援課は「市としてできる対応を検討したい」と話した。

 博多町人文化連盟の西島雅幸理事長は「非常に寂しいニュース。博多文化が廃れないか心配だが、今こそ人形師、卸売業者、小売店が一つになり、市民と一緒に知恵を絞る時。多くの人を引き付ける仕掛けで、再び博多駅で発信できればいい」と気を引き締めた。

 今月上旬、2店の店舗跡は白い囲いに覆われ、ここで今月中旬に始まる催事の準備が進められていた。店舗跡について運営会社は「テナント探しを進めているところ。今のところ出店は決まっていない」と話している。

伝統工芸品の博多人形

  博多人形 福岡を代表する伝統工芸品で、福岡市の博多地区で主に作られてきた。1600年、黒田長政が筑前国(現福岡県)に入った際、集まった職人たちが素焼きの人形を作ったことが始まりとされる。素焼き人形に彩色して繊細な表現を生み出すのが特徴。明治時代には海外でも評判になった。経済産業省の伝統的工芸品指定。博多人形の制作技術は、地元伝統の夏祭り「博多祇園山笠」の舁(か)き山笠や飾り山笠作りにも生かされている。

※情報は2019.7.11時点のものです

西日本新聞

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