人種の壁を越えて、ラム酒を楽しもう♪カリブ海のハワイ【米領・プエルトリコ】

「ぷえるとりこ」

 

と聞いてどのようなイメージがあるだろうか?

ギャング?マフィア?麻薬?

アメリカ映画やドラマでは悪役達の出身地が「プエルトリコ」

というパターンが多く、どうしても暗黒的なイメージがある。

そんな危険な場所に訪問する日が来るとは、いくら珍国マニアでも予測はしていなかった。

 

危険な場所…ビビりの女王はいつもより入念に下調べを行う。

その過程でプエルトリコという言葉に区切りがあることも知り、

違和感を覚える。日本人的感覚なのか、どうしても

 

プエル と トリコで「プエルトリコ

 

 で区切られているような気がする。

 

しかし実際は

 

プエルトリコ で「プエルト(豊かな)リコ(港)

 

調べて行くと「豊かな港」という名前を持つこの地に興味が湧いてきた。

百聞は一見にしかず、、、女王にとってギャングの街だったはずが

「❤プエル虜❤」となるのであった。(ますます区切る場所が混乱する。)

 

ということで、プエルトリコに行った時のことを書いてみるとする。

プエルトリコは地図の右半分下のところ。

プエルトリコは地図の右半分下のところ。

プエルトリコを機内から空撮。

さすがアメリカ領だけあって都会。

さすがアメリカ領だけあって都会。

ここでプエルトリコのことを少し。 

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プエルトリコはアメリカの「自治連邦区」。簡単に言えばアメリカの州でない領土。

内部的な政治はプエルトリコの自治政府が行うが、国防も含め外交等はアメリカ主体。

アメリカの市民権があり、パスポートもアメリカのもの。所得税納税義務はない。

その代わり大統領選挙権もない。

独自の軍はなく、アメリカ軍が介入。米軍の中にも普通にプエルトリコ人がいる。

英語も通じるが、スペイン統治時代が長かったので国民の多くは「スペイン語」が日常言語。

国民に流れている血はラテン系と黒人系とヨーロッパ系。ノリは完全にラテン系!

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街は高級リゾートホテルもたくさん。レストランはカジュアルなとこでも、質が良い!

お店の店員さん達は明るくフレンドリー♪

綺麗に整備された街中。リゾート気分が盛り上がる。

綺麗に整備された街中。リゾート気分が盛り上がる。


ローカルな雰囲気も味わえる。

ローカルな雰囲気も味わえる。

世界遺産もある。1539年~1783年にかけて作られた「エル・モロ要塞」

完成までに何と244年もの月日を費やしたそう。

大西洋に面し、島の突端にあるこの要塞は高さ43mで城壁の厚さが6m。

スペインが海賊や欧州諸国からの攻撃を防ぐため、島の半分を囲むような形で建っている。

スペインが海賊や欧州諸国からの攻撃を防ぐため、島の半分を囲むような形で建っている。

そして任務よりも重要視した女王の一番の目的★

「バカルディ・ラム工場」

トレンディドラマの走り「抱きしめたい」で浅野温子さんがいつもバーで「ホットラム」をオーダーするシーンがカッコよく、中学生ながら憧れていた。

大人になったら~ラムを飲みたい~という夢を持っていた。  

憧れが強かったせいか、このマークを見ると妙に燃え上がる(笑)

憧れが強かったせいか、このマークを見ると妙に燃え上がる(笑)

甘いお酒を好む女王はラムが大好き。

ここでバカルディのことを少し。(ラムに興味がない方はスルーを)

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バカルディ社の創業者はスペインのワイン商ドン・ファクンド・バカルディ。

1830年にスペインからキューバに渡った彼は、世界で初めて炭で不純物を取り除く手法を考案。

そして独自熟成方法とブレンドで極上のラム作りに成功。

トレード・マークのコウモリは創業者の奥さんが考案。

蒸留所の側の木にフルーツバット(コウモリ)がたくさんいたのを発見し、

トレードマークにするよう発案したそう。

キューバでは文字が読めなくても、みんなこのマークを見るだけで、

バカルディ社のポリシーと加えて「とても縁起が良いものだ!」と認識出来る。

というのも、当時キューバではコウモリは古くから健康、財産、一家団結という言い伝えがあったから。

時を経て、アメリカに進出したいと考えていたバカルディ社は、

税金のかからないプエルトリコを生産工場として選んだ。

きっとコウモリのおかげで、今ではバカルディ社は世界一のラム製造会社となったのであろう。

 ちなみに、ラムはさとうきびが原料なので、高カロリー。

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 バカルディ工場内は見学が出来る。

見学料を払って1時間くらいのバスツアーに参加。

見学料を払って1時間くらいのバスツアーに参加。

ラムは熟成しないものはホワイト、短期間の熟成はゴールド、そして超熟成はブラックとある。

ラム!ラム!!ラム~!!!

ラム!ラム!!ラム~!!!

工場見学はバカルディ社の歴史が分かる映画上映や創業当時の工場の様子、炭のろ過装置なども見ることが出来る。

レモン、リンゴ、マンゴーなどのフルーツ系もある。

 

そして見学の締めくくりは試飲!

入場券を購入した時に、一人2杯分の試飲券がもらえる!!!

ウキウキ★ワクワクで試飲カウンターに並んでいると、工場見学で一緒だった年配の女性がこう言う。

 

 「あたくし、アルコールが飲めない体質なのです。

女王様、あたくしの券も是非お使い下さい。

遠慮しないで、ほら!主人のもありますよ!」

 

女王は試飲カウンターでどれだけウキウキ★オーラを出していたのだろうか?

他にも並んでいる人はたくさんいたのに。

即答で

 

「いいんですかぁ!?グラシアス!グラシアス!!!」

 

と遠慮なく頂く。そして券を握り締めてカウンターへ。

注文はこれしかない!「ラム・コーク、ゴールドで★」

 

ラム・コークはキューバでは

 

「クーバ・リブレ」

 

と呼ばれている。ラム・コークの誕生にはちょっとした秘話がある。

 

1898年、アメリカはキューバのスペインからの独立を手助け。

「クーバ・リブレ(キューバに自由を!)」を掲げて独立を勝ち取ったキューバ。

ちょうど独立戦争の頃、アメリカ兵と共にやって来たコカコーラと、

キューバの特産であったラムをミックスさせることを一人の将校が思い付く。

 アメリカ人将校がこのドリンクを掲げながら

 

「クーバ・リブレ!」

 

 と叫んだことからこのカクテルの呼び名になった。

このエピソードを聞いて、ますますラム・コークに愛着が湧く。

 

キューバ革命以降、50年以上もキューバとアメリカは国交を断絶していたが、

2014年の末にオバマ大統領がキューバと正常化に向けた交渉を始めると発表。

両国がまた「クーバ・リブレ!」と杯を交わす日が来ればいいなと思う。

 

さてさて、話は変わって試飲をし過ぎた女王様。

6枚のチケット全てを使い果たすと、さすがに酔わない訳がない。

次の予定は世界遺産に登録されている地域の下見だが、そんなことはすっかり忘れていた。

でもバカルディは己の欲を満たす為だけに、勝手に自分で行程に組み込んで行った場所。

仕事はちゃんとしなくてはならない。

 

「世界遺産 オールド・サンファン~旧市街地、歴史地区~」

 

真っ赤な顔して、千鳥足で、歴史ある街を徘徊して回る。

しかし、これが大変だった・・・。

酔っ払っている上に、全国方向音痴コンテストで第2位を獲ったことがある女王に、

タクシーのドライバーは地図を指しながら、優しい口調でこう言う。

 

「ここから歴史地区なのだけど、道が狭いからこのデカイ車は通れない。

なので、この噴水のところで降りてもらって、あなたはココを下って

ボクはココで待っているから、散策終わったら、ココで待ち合わせしよう。

それで大丈夫かな?」

 

大丈夫な訳がない。ヤバイ…全く道順が頭に入らない

しかしそんな姿を見せる訳にも行かず、調子こいて

 

「おーけーおーけー!のぉぉぉーぷろぶれむっ♪」

 

と自身たっぷりに言ってのける。

ま、何とかなるさ!と

 

世界遺産 旧市街地区 オールド・サンファン へ潜入!

この位置は首都サンファンの山手の方。下に向かって街が開けて行く感じ。

1500年代にスペインの植民地だったサンファンの旧市街地。

1500年代にスペインの植民地だったサンファンの旧市街地。


スペイン統治時代の面影を色濃く残す建物がたくさん。

スペイン統治時代の面影を色濃く残す建物がたくさん。

規律正しく敷き詰められた石畳はスペインの特徴らしい。

同じようなウルグアイの世界遺産歴史的地区で、ポルトガル人が作った石畳は敷き詰め方がとても雑でデコボコだった。

同じようなウルグアイの世界遺産歴史的地区で、ポルトガル人が作った石畳は敷き詰め方がとても雑でデコボコだった。

写りが悪いが、目をひいたのが木作りの可愛い看板。

こういうアート的なものが至るところにあり、目を楽しませてくれる。

こういうアート的なものが至るところにあり、目を楽しませてくれる。

とにかくここ

 

世界遺産 旧市街地区 オールド・サンファン はとても魅力的★

 

通りの両サイドにはレストランや気軽に入れるバーやパブ、土産物屋はもちろんのこと、骨董品屋、洋服屋、商店などがひしめき合っている。

1軒1軒入って中をチェックして回りたい位、キュートなものでいっぱい。

気軽に買えるものもたくさんあり、安い!

1珍国1布というくらい、その土地の布やパレオが大好きな女王。

ここでも水色の生地にピンクでハイビスカスがプリントしてあるものを購入。

普通は南国などに行くと、15ドル~20ドル位で結構高いのだが、ここでは何と8ドル!!!

そして一番の魅力は❤人が優しい❤

 

珍国の師匠から購入命令が出ていたものを、血眼になって探していると、

超グラマーなイカシタ店員のお姉さんが女王の必死な姿を見て、

同情したのかレジ先でちょっと手にした「プエルトリコの国旗」がモチーフになったキュートなキーホルダーをおまけしてくれた☆

しかも購入金額はたったの2ドル。

 

とあるレストランでは、お冷が入った洒落たコカコーラのロゴ入りグラスを

「知人にお土産に買いたいんだけど、どこで売ってる?」と言うと、

店員である超イケメン兄ちゃんが「持っていきな!」とタダでくれる!!!

 

スーパーで探し物があると、店員さんも地元のお客さんも一緒になって探してくれる。

歴史的な旧市街地で、心と心が通うサービスに感動が押し寄せる。

 

こんなに気分良く散策が楽しめる場所もなかなかない。

恐らく珍国の中ではここが最高だろう!

 

散策後、地図を片手に10メートル毎に店に入り集合場所を聞く。

赤い顔した酔っ払い女王を見ると、皆「どうしたの?」と聞いてくる。

「日焼けしたのさ。」と言ってみると、「んな訳ねーだろ!」と爆笑しながら、突っ込みをくれる。

 

旧市街地の皆様に助けられながら、何とか無事に待ち合わせ場所にも辿り着けた。

 

そして、夕食はドライバーに勧められた日本食レストランへ。

海外ではよくあることだが、表看板は大々的に

 

「ジャパニーズ レストラン」と共に「YAMATO」「SAKURA」など

日本を象徴する名前の看板が掲げてある。でも中に入ると完璧に中国人のお店。

 ここプエルトリコにもそういうレストランがたくさん。

 

各国を旅していると世界は空前の日本食ブームを感じるのだが、

日本人が絶対にいないような国では、中国人が経営する日本食レストランが欧米人を相手に大繁盛。

予約をしないと座れない。

 

「このクオリティーでお金取るのか・・・」という感じだが、

珍国ではなぜか中国人が作る

卵がスクランブルエッグになった「親子丼」や

焦げまくって串から抜けない「焼き鳥」や

ソーメンのようい細い「丸天うどん」や

スープが何故か灰色の「きくらげ入りしゃぶしゃぶ」にホっとするのだ。

 

夕食後、プエルトリコ人の友人と会う約束。

 

彼は女王の友人。元々は日本在住で今はアメリカ暮らし。

彼が日本にいる時に良く飲みに行ったり、観光に連れて行ったりしていた。

女王がプエルトリコに行く2日前にちょうど良いタイミングで、彼の里帰りと重なり

 

「んじゃ、オレの故郷を案内するぜ!」

 

という話になったのだ。

 

彼の案内で今度は夜のオールド・サンファンへ潜入。

ここはプエルトリコの最高責任者である知事官邸。

建物が美しいと有名な官邸。昼間は酔っぱらっていたし、気にも留めなかった場所。

綺麗な建物なのに両方とも夜の撮影で画像悪いのが残念だが。

綺麗な建物なのに両方とも夜の撮影で画像悪いのが残念だが。

街の中心にある要塞。昼間に行った旧市街地はこの内側に広がる。

旧市街地が攻撃されないように、要塞で囲んでいるのだそう。

彼に連れて行ってもらった青空喫茶みたいな夜のバーでまたまた「ラム・コーク」を。

ピンボケだが、そのバーの前に港に寄港しているクルーズ船の夜景。

プエルトリコは豪華クルーズの寄港地でもある。

プエルトリコは豪華クルーズの寄港地でもある。

ラム・コークで気分を良くした女王は、ムード溢れる場所で、ムードのない会話を続ける。

そして、バカルディのラム工場に行ったことのない彼に得意げに「工場見学自慢」をしてあげるのだった。

 

そんな女王に彼は言う。 

 

「今日はまた一段と声がデカイね…」

 

「ほっといて!だって誰かと普通に気兼ねなくしゃべれるのは久々なんだから!」

 

ここまで来てムードのない会話を続けるのも何なので、真面目な話をしようと

プエルトリコ出身の彼に聞きたいことをぶつけてみる。

 (恋愛感情は笑っちゃうくらい皆無…。)

 

 問い1:

「プエルトリコ人はアメリカから独立したいと思っていないのか?

選挙権も与えられていないし、いつまでもアメリカ自治区で良いのか?」

 

彼の答え:

「独立をしたがる政党はあるが、知事選では勝ったことがない。

アメリカから独立をすると、まず仕事がなくなる。

プエルトリコは主だった産業がないから、今となってはアメリカから離れてしまうと治安も悪化するし、失業率が増えてしまう。

自分もアメリカで仕事をしてるし、ほとんどが独立反対派かな。」

 

 問い2:

「他のカリブ地域よりダントツ奴隷解放が早かったようだが、人種差別に対しての意識はどうか?

ここは特に他の地域と違って様々な人種が混在しているように見えるが…」

 

彼の答え:

「人種差別への意識はアメリカよりは遥かに進んでいると思う。

先祖代々遡ると訳が分からないくらい複雑だから。

自分の父はアメリカ人(白人)、母はスペイン系(褐色)。

おじいちゃんはスペイン系(褐色)でおばあちゃんはフランス系(白人)。

んで、ひいおじいちゃんは確かキューバ系黒人で、ひいおばあちゃんはスペイン系だったかな~。

 身内だけ見ても、みんな目の色肌の色髪の色も違うから、ここでは人種差別なんて言葉はない。」

 

 そんな彼の奥さまもフリピン系アメリカ人。

 

「人種の壁がないプエルト・リコ」

 

これは街を歩きまわっている時から感じていたこと。

彼の話を聞いて、何故この地ではそのように感じるられるか分かった。

 

日本を含め世界では未だ、この恥ずべき【人種】差別というのもが普通にあり、

黒人だから裁判では有罪率が高いとか、黒人だから地下鉄から降ろされるとか、

白人でないことが罪だか、キリスト教でないことが罪だとか、

アジア人がエレベーターや電車やバスに乗ると、白い目で見られたり、

白い目だけならいいが、「こんな人種と同じ空間は無理!」と暴言を吐かれ、

その場を立ち去る人もいる。

そういう事を見たり聞いたり、自分が経験したりすると、とても切なくなる。

 

先日、こう豪語する日本人女性がいた。

「あたしはこの世の中で黒人が一番嫌い!」

その女性は黒人と接点を持ったことはない。

 

世の中には「レイシスト(差別主義者)」という人々がいるが、

私はその人々を敢えて【人種】と呼び、心から軽蔑する。

 

彼が言うように

「 身内だけ見ても、みんな目の色も肌の色も髪の色も違うから、人種差別なんて言葉はない。」

 

こういう世の中が来る日はいつになるのだろうか?

 

そして、最後に質問が終わったあとに、彼がこう言う。

 

「プエルトリコに来てくれてありがとう。プエルトリコに興味を持って色々質問してくれてありがとう。」

 

彼は日本にいた時から感謝の言葉や思いをいつでも口にしていた。 

「How are you?」

と聞くと、必ず

 

「Thank you for asking,Im fine.」

(聞いてくれてありがとう。元気だよ。)

 

食事や観光で、おかわりは? トイレは? 他に何かいる? おいしい? 

など質問する度に必ず笑顔で「Thank you for asking.」と言うのだ。

その言い方に惰性や習慣的なものは一切感じない。

この心地よい人間性はどこから来るのだろう?と思っていたが、ここに来て分かった。

 

「ありがとう。」が溢れるプエルト・リコ。

人が行かないようなところに興味がある方はいつか必ず訪れて欲しいものだ。

行くだけで2日かかるし、遠いけど………\(-o-)/

 

ちなみに、「アーァチィーチィーアーチィッ♪郷ひろみ」ではなく

「アーップサイ、イーンサイッダァッ♪」でお馴染みのリッキーマーティンの出身地もここプエルトリコである。

大西洋に面したカリブの中のハワイと称される場所。

大西洋に面したカリブの中のハワイと称される場所。

※情報は2015.3.5時点のものです

珍国の女王

【珍国→珍しい国→日常ではあまり耳にすることのない国】

縁あって100ヶ国以上の国や地域を訪問させて頂いております。 なぜ、自分で女王と言ってるかというと、西ヨーロッパ諸国を訪問した時に 立て続けに現地の人に、どこかの女王に似てると言われて有頂天になってるから。 どこの国の女王かは不明だけど。 特技は、どんな地域にでも雨を降らせて、虹を架けること。 究極の雨女です!

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