世界遺産登録を待つ「黒島天主堂」で有名な佐世保・黒島を満喫してきたよ

映画「沈黙―サイレンス―」を観た余韻さめやらぬある日の午後、ファンファン福岡編集長のI木さんからメールが届きました。「九十九島のひとつ、『黒島』のツアーに参加しませんか?黒島天主堂の朝ミサにも参加できるそうで、須藤さん興味あるんじゃないかと思って」

あるもなにも!

禁教下で、人々はどうしてあれほど命がけで信仰を守ったのだろう?映画を観てからずっと頭の片隅から離れなかったことも、その土地に行けば何か感じられることがあるかもしれない。そう思ったわたしは東京の友人Kを誘って黒島へ渡る週末ツアーに参加することにました。

佐世保からMR(松浦鉄道)に乗って約30分。団体用に貸し切られた電車とさっそく配られた昼食にテンションがあがります。

松浦鉄道内

松浦鉄道内

黒島へは、相浦港からフェリーに乗って50分。あたたかく晴れて輝く海を前に、これからの船旅に期待が高まります。フェリーのなかには島から佐世保に通学している高校生の姿もチラホラあり、日常の足になっているんだなぁと実感するところです。

さて、畳敷きのスペースで友人とふたりゴロゴロしたり、甲板に出て海を見たりを繰り返していると、あっという間に黒島に到着。港のウェルカムハウスで宿泊する宿ごとに荷物を預け、さっそく島の散策に出かけます。

島の観光協会会長の山内さんが、このツアーのガイドとして島を案内してくれるとのこと。「軽くウォーミングアップをしましょう」と足首を回したり、ふくらはぎの裏を伸ばすストレッチを促され、軽くビビりました。え…まさかガンガン山道登ったりするやつじゃないよね?

島の隅々まで知る山内さんを先頭に、さっそく散策に向かう一行。・・・と、いきなり急角度な坂道が現れるではありませんか。他の参加者さんの手前、ポーカーフェイスを装いつつ心のなかで焦ります。ヤバい、このままこのレベルの坂道が続いたらヤバい。

懸念していたほどの坂は続かず(安堵)、昔の役所あとを横目に興禅寺に向かいます。

役所あとでは昔、キリシタンへの「絵踏み」(いわゆる「踏み絵」ですね)が行われていたのだそう。「年に1回の絵踏みは、毎年1月1日に行われていました」と山内さん。お正月だとみんな家にいるから、とのことで、ちょっと意外な印象です。だってほら、怖いお役人がいきなり家にやってきて住人を引っ張っていって、抜き打ちで絵を踏ませるイメージがあったから。

1803年まで平戸藩の放牧地だった黒島に、入植のためにひとが住み出して、彼らのためのお寺が経ちました。平戸から見える場所に家を建てるように、とお達しがあったため、お寺の周囲の傾斜には所狭しと家が立ち並びます。

寺から見る海

寺から見る海

 

火事で焼けた木

火事で焼けた木

住人441人の8割はカトリックだという黒島の、仏教徒の住む地域。福岡市の街なかに住むわたしは、「宗教ごとに別れて住んでいる」という感覚がないため、不思議な気持ちを覚えました。

寺を後にし、そのまま島の景勝地まで20〜30分程のウォーキング。蕨展望所から見る海は凪いでキラキラと輝き、大小の島がぼんやり霞んで見える姿は墨絵や影絵の世界のように幻想的です。「この先をずっと行けば、中国ですよ」と山内さんの何気なくおっしゃるひとことに、改めて大陸との近さを感じます。

蕨展望所

蕨展望所

 

蕨展望所から見る海

蕨展望所から見る海

黒島は、かつて外海(そとめ)地区などから、迫害を恐れた潜伏キリシタンたちが多く入植してきた場所。住むのに適した場所は仏教徒たちが住んでいたため、険しい島の斜面を開拓して住み着くしかなかったそうです。

島の赤土と、地面を掘るとすぐに出てくるという御影石。農作物を育てるには大変な思いをしたであろうことは、想像に難くありません。目前に輝く穏やかな海とはあまりに対照的な、厳しい自然と共存せざるを得なかった人々。信仰とは、厳しい生活を送らざるをえなかった人々の唯一の拠り所だったのでしょうか。

道の途中にあるマリア像

道の途中にあるマリア像

前衛的な大根

前衛的な大根

蕨展望所を後にし、途中、民家やオリーブが植えられた斜面を見ながらしばらく進むと、特徴のある屋根が見えてきました。

教会だ!

信徒たちが手ずから焼いた約40万個の煉瓦でできた、黒島天主堂。瓦屋根の教会は、日本ならではですね。

「ここから先は、脱帽で。神聖な場所なので、静粛にお願いします。写真もNGです」という山内さんの注意を聞き、靴をはいて黒島天主堂に入ります。靴を脱ぐところが、日本の教会だなぁ。

「こうもりのように見える」といわれる特徴的なリブ・ヴォールド天井。木目に見えるのは、なんと費用を押さえるために信徒たちがひとつひとつ手で描いたものだというから仰天です。

祭壇の下に埋め込まれた約1800枚の有田焼の青い美しいタイルは、この教会を建設する際に尽力したフランス人のマルマン神父が、わざわざ有田まで出向いて入手してきたものというから、この天主堂にかける想いが時を超えて伝わってきます。

「ここでは毎朝6時からミサがあります。毎日通っている方もいらっしゃいますよ」と、山内さん。

「マルマン神父は、この天主堂を建てるにあたって、15歳から60歳の男性信徒に1日60銭、現在のお金でいうと約12000円のお金を寄進するように頼みました」

えぇ〜!とどよめく一同。そんな…わりとムチャ振りするのね、マルマン神父…。

「ですが、もちろん、みんなそんな簡単に出せる金額ではありません。なので、かわりに勤労奉仕として、この天主堂を建てるために肉体労働をしたんですね」

働きざかりの男たちの多くが約2年間天主堂の建設にかり出され、そうでなくても貧しかった島が、その時期、より貧しくなってしまった、というお話もぽろり。なんとまぁ、複雑ではありませんか。

ここで穿った見方をするB面のわたしが、心のなかで囁きます。「マルマン神父、ただ熱心なだけじゃなくて、バチカンに『こんな立派な教会建てた』ってアピールしたかったんじゃないの〜?」

真実はわかりません。けれど、長い禁教の下、信仰を守ってきた信徒のみなさんはきっと、自分たちの立派な教会を建てたかったのでしょうね。

教会を見学したあとは、すぐ隣にある信徒会館へ。女性信徒の「ハッピー隊」のみなさんが軽食の用意をして待っていて下さいました。シフォンケーキにサラダ、さつまいものチップス。サラダの野菜やさつまいもは、すべて黒島でとれたものだそう。ちょっとしたランチくらいのボリュームでしたが、もちろんペロリと完食しました。横では、友人Kが隣のご夫人から「甘いもの食べられないから」とシフォンケーキを譲り受け、2つ目にとりかかっているではありませんか。さすが、我が友、頼もしい限りです。

ここでは、島でとれる植物「ジュズダマ」でロザリオ風のストラップをつくります。配布された資料を前に不安を隠せないわたし&友人K。手作りとかクラフトとかちゃんと仕上がった試しがないんですが…大丈夫でしょうか…。

「糸を通す穴が見えない」「留め金がたりない」と20人ほどの大人がワーワー言いながら必死で手作りに挑戦する姿は、滑稽でもあり、ちょっとした感動も覚えるものでした。わたしはといえば、ちゃっかりハッピー隊のリーダーさんを確保。つきっきりでご指導を授かり、意外に早く完成したのでした。ひとの力を借りるって大事♡ ちょっとしたものづくりの楽しさを再発見した気分です。

ハッピー隊のみなさん

ハッピー隊のみなさん

「明日の朝ミサのときに、またここで!」と、本日はここで解散。島に3軒だけある民宿に各々ひきあげ、1日目の島の観光が終わりました。

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